カリンバ遺跡を現地取材!縄文時代の大型合葬墓と漆塗り装身具、2026年の整備状況を紹介【恵庭市】

カリンバ遺跡 恵庭市
2026年8月に訪れた国指定史跡カリンバ遺跡。広い史跡内では現在、公開・活用に向けた整備が進められています。2026年8月撮影

北海道恵庭市の市街地に、約3,000年前の縄文人たちの姿を今に伝える重要な遺跡があります。

それが国指定史跡「カリンバ遺跡」です。

現在は一見すると広い緑地のようにも見えますが、地下には縄文時代後期から晩期にかけての墓や生活の痕跡が残されています。

特に全国的にも注目されたのが、複数人が一つの墓に埋葬された大型合葬墓と、そこから大量に出土した赤い漆塗りの装身具です。

街角タイムス取材部では実際に現地を訪れました。

2026年8月現在、カリンバ遺跡では史跡を公開・活用していくための整備工事が進められており、現地には工事用の規制線や案内板も設置されていました。

カリンバ遺跡とは?

カリンバ遺跡は、北海道恵庭市黄金中央5丁目216番地の7ほかに所在する国指定史跡です。

JR恵庭駅と国道36号の間に位置し、周囲には住宅や学校などがある市街地の中に残されています。

史跡の面積は42,614.73平方メートル。約4.26ヘクタールという広大な遺跡です。

恵庭市によると、1999年に市道建設予定地を発掘したところ、約3,000年前の縄文時代後期末に造られた多数の土坑墓が発見されました。これをきっかけに遺跡の重要性が明らかになり、2005年3月2日に国の史跡に指定されています。

現地には「国指定史跡 カリンバ遺跡」と書かれた大きな解説板があります。

カリンバ遺跡
カリンバ遺跡の現地解説板。縄文時代後期から晩期の土坑墓群や生活跡について詳しく紹介されています。2026年8月撮影

案内板には、カリンバ遺跡について、

  • 縄文時代後期~晩期
  • 約3,500~2,500年前
  • 多数の土坑墓群
  • 生活跡

が残されていることが記されています。

なかでも、この遺跡を全国的に有名にしたのが「墓」です。

カリンバ遺跡では大型合葬墓が4基見つかった

1999年の発掘調査では、一人だけを埋葬する墓だけでなく、一つの穴に2人以上を埋葬した大型合葬墓が4基確認されました。

なかでも有名なのが123号土坑墓です。

この墓には5人が埋葬されていたと推定されています。

しかも、単に複数の人骨が発見されたというだけではありません。

埋葬された人々は、

漆塗りの櫛、腕輪、額飾り、髪飾り、耳飾り、腰飾り帯、玉、勾玉、サメの歯

など、非常に多くの装身具を身につけていました。

123号土坑墓からは、漆塗りの櫛7点、腕輪4点など多種多様な装身具に加え、玉や勾玉150点、サメの歯1点などが確認されています。

約3,000年前の北海道に、これほど高度な装飾文化が存在していたことを示す重要な発見です。

真っ赤な漆塗り装身具がカリンバ遺跡最大の特徴

カリンバ遺跡の価値を特に高めたのが、墓から発見された漆塗り装身具です。

現在の北海道で「漆」というと本州の伝統工芸を思い浮かべる人も多いかもしれません。

しかし縄文時代には、北海道でも高度な漆文化が存在していました。

カリンバ遺跡では、櫛や腕輪、腰飾りなど数多くの赤い漆製品が確認されています。

恵庭市は、これほど多種多様な漆塗り装身具がまとまって見つかった例は非常に珍しく、質・量ともに前例のない発見だったとしています。

しかも赤色は単なる装飾ではなく、縄文人にとって何らかの特別な意味を持っていた可能性も考えられています。

約3,000年前に暮らした人々が何を考え、なぜこれほど多くの装身具とともに人を埋葬したのか。

カリンバ遺跡には、現在も多くの謎が残されています。

出土品397点は国の重要文化財

カリンバ遺跡そのものは国指定史跡ですが、さらに墓から出土した品々も高く評価されています。

大型合葬墓3基から発見された、

漆塗り装身具・玉類・サメ歯・土器など397点

は、2006年6月9日に国の重要文化財に指定されました。

つまりカリンバ遺跡は、

遺跡そのもの=国指定史跡
出土した遺物=国指定重要文化財

という、二重に重要な文化財となっています。

カリンバ遺跡の出土品はどこで見られる?

「現地に行けば漆塗りの櫛などを見ることができるの?」

と思う人もいるかもしれません。

カリンバ遺跡の出土品は、基本的に恵庭市郷土資料館で見ることができます。

郷土資料館には「カリンバ展示室」があり、重要文化財の玉や土器などを展示。保存が難しい漆塗り装身具については通常、複製品が展示されています。大型合葬墓の実物大レプリカも見ることができます。

恵庭市郷土資料館は入館無料で、開館時間は9:30~17:00です。

カリンバ遺跡を訪れた後に郷土資料館を見ると、

「この広い土地の地下から、こんなものが見つかったのか」

という実感がかなり強くなるでしょう。

恵庭市郷土資料館

「カリンバ」という名前の意味は?

「カリンバ」という名称も特徴的です。

アフリカの楽器「カリンバ」を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、この遺跡の場合は関係ありません。

恵庭市の整備基本計画によると、この地域を流れていた旧カリンバ川が遺跡名の由来です。

「カリンバ」はアイヌ語で、

「サクラの木の皮」

を意味するとされています。

アイヌの人々はサクラの樹皮を紐などとして利用しており、かつて川沿いにサクラの木が多く生えていたことから「カリンバ」と呼ばれたと考えられています。

現在進められている史跡整備でも、この名称の由来を生かし、サクラの植栽などが検討されてきました。

2026年現在、カリンバ遺跡は史跡整備工事中

今回の現地取材で特に重要だったのが、現在のカリンバ遺跡の姿です。

訪問時、史跡には工事用のオレンジ色のネットや立入規制用のバーが設置され、重機による作業も行われていました。

カリンバ遺跡
2026年8月現在のカリンバ遺跡。現地では史跡整備工事が進められており、案内板の横には工事内容を知らせる掲示が設置されていました。2026年8月撮影

現地の工事看板によると、今回の工事期間は、

2026年7月14日~11月20日

と案内されています。

恵庭市では以前からカリンバ遺跡の保存と公開活用について検討を続けており、2023年度に整備基本計画を改訂。2026年度以降、園路や解説板などを段階的に整備する計画を進めています。

2026年度の計画には、旧ため池の埋め戻し、旧サイロの撤去、園路・多目的広場の基盤整備、転落防止柵などが含まれています。

なぜ今、カリンバ遺跡を整備している?

カリンバ遺跡は2005年に国指定史跡となりましたが、これまでは地下の遺跡を守る「保存」が中心でした。

そのため現地を訪れても、

「どこに墓があったのか」
「何が重要なのか」

が分かりにくい状態でもありました。

恵庭市は今後、遺跡を守りながら一般の人にも価値を分かりやすく伝えるため、

園路・案内板・ベンチ・多目的広場などを整備

していく方針です。

現地を訪れた2026年8月は、まさにその変化の途中でした。

カリンバ遺跡
広大なカリンバ遺跡の現況。地下には縄文時代の墓や生活跡が残されており、遺構を守りながら公開に向けた整備が進められています。2026年8月撮影

今後整備が完成すれば、現在よりも「縄文時代のカリンバ遺跡」を現地でイメージしやすい場所になりそうです。

市街地の真ん中に約3,000年前の墓地が残る不思議

実際に現地へ行って印象的だったのが、立地です。

カリンバ遺跡は山奥にある遺跡ではありません。

JR恵庭駅と国道36号の間にあり、周囲には住宅地が広がっています。

現代の街のすぐ横に、

約3,000年前の縄文人たちが暮らし、人を埋葬した場所

が残されているのです。

現在は芝生や草地が広がるため、何も知らずに通れば大きな緑地に見えるかもしれません。

しかし、その地下には多数の墓や生活の痕跡が保存されています。

この「日常の街と縄文時代が重なっている」というところも、カリンバ遺跡の面白さです。

1999年の道路工事が大発見につながった

カリンバ遺跡の歴史が大きく動いたのは1999年です。

恵庭市が市道「団地中央通」を造るため、予定地で事前の発掘調査を実施しました。

すると漆塗りの櫛や腕輪、玉などを大量に副葬した大型合葬墓が次々と発見されました。

その後、周辺にも同様の遺構が残っていないか調査が進められ、広い範囲に多数の墓や生活跡が存在することが明らかになっていきます。

もし道路建設前の発掘調査がなければ、カリンバ遺跡の価値がここまで明らかにならなかった可能性もあります。

現代の道路工事が、約3,000年前の歴史を掘り起こしたわけです。

約3,000年前の人々はどんな暮らしをしていた?

カリンバ遺跡が造られた縄文時代後期末は、現在とは生活環境が大きく違いました。

人々は狩猟や漁、採集などを行いながら生活していました。

カリンバ遺跡では墓だけでなく、北側の低地から土坑、石器、土器、焼土、柱穴など生活に関係する痕跡も確認されています。

つまりここは単なる墓地ではなく、人々が暮らした地域の一部だったことが分かります。

一方で、大型合葬墓にこれほど多くの装身具を身につけた人々が埋葬された理由は、現在も完全には分かっていません。

  • 身分や役割の違いだったのか。
  • 宗教的な意味があったのか。
  • 特別な儀式が行われていたのか。

謎が残っているからこそ、カリンバ遺跡は考古学的にも興味深い史跡です。

カリンバ遺跡を見た後は恵庭市郷土資料館へ

カリンバ遺跡をより深く理解するなら、現地だけで終わらせず、恵庭市郷土資料館まで訪れるのがおすすめです。

郷土資料館では、カリンバ遺跡の出土品、漆塗り装身具の複製、大型合葬墓の実物大複製などを見ることができます。入館料も無料です。

現地では地下に保存されている歴史を「想像」し、資料館では実際の出土品から縄文人の姿を「見る」。

この2か所をセットで巡ると、理解度が大きく変わります。

カリンバ遺跡の基本情報

項目内容
名称国指定史跡 カリンバ遺跡
所在地北海道恵庭市黄金中央5丁目216-7ほか
主な年代縄文時代後期~晩期
注目される年代約3,000年前・縄文時代後期末
指定面積42,614.73㎡
国史跡指定2005年3月2日
主な遺構土坑墓、大型合葬墓、生活跡
主な出土品漆塗り櫛、腕輪、腰飾り、玉、勾玉、サメ歯、土器など
重要文化財大型合葬墓出土品397点
重要文化財指定2006年6月9日
2026年現況史跡整備工事中

史跡そのものは地下に保存されているため、現地では遺構を直接見る場所ではありません。2026年は整備工事も行われているため、規制区域には入らず、現地の案内表示に従いましょう。

恵庭の歴史をたどるなら周辺スポットも一緒に

恵庭市では、カリンバ遺跡以外にも異なる時代の歴史を感じられるスポットがあります。

特におすすめなのが、これまで街角タイムスでも紹介してきた旧島松駅逓所です。

カリンバ遺跡が約3,000年前の縄文文化を伝える場所なのに対し、旧島松駅逓所は北海道開拓期の歴史を伝えています。

関連記事
国指定史跡 旧島松駅逓所を現地レポ|クラーク博士と寒地稲作の歴史

さらに、

関連記事

まとめ|カリンバ遺跡は「約3,000年前の恵庭」を伝える国指定史跡

カリンバ遺跡は、見た目だけではその価値が伝わりにくい場所かもしれません。

現在は広い草地が広がっています。

しかし地下には、約3,000年前の縄文人たちの墓や生活の痕跡が残されています。

さらに大型合葬墓から見つかった大量の漆塗り装身具は、当時の人々が高度な技術と豊かな精神文化を持っていたことを物語っています。

2026年には、長年計画されてきた史跡整備も本格化しました。

今回訪れたときはまだ工事途中でしたが、整備後にはカリンバ遺跡の価値を現地でより理解しやすくなることが期待されます。

恵庭駅周辺を訪れた際には、

「この場所の地下に約3,000年前の人々の営みが残っている」

ことを意識しながら見てみると、普段とはまったく違った風景に見えてくるはずです。

関連記事

タイトルとURLをコピーしました