北海道三笠市の中心部に、長い歴史を持つ神社があります。
その名は「市来知神社(いちきしりじんじゃ)」。
1882年(明治15年)、三笠市の前身となる市来知村が開かれた頃に始まった神社で、北海道の開拓や空知集治監の歴史とも深く関わっています。
今回、街角タイムス北海道取材部では、実際に市来知神社を訪れ、鳥居や参道、社殿、手水舎、境内の記念碑などを取材してきました。
訪れてみると、木々に囲まれた神社の境内には、昔の三笠市を知るための歴史的な見どころが数多く残されていました。
特に印象的だったのは、空知集治監の初代典獄・渡辺惟精を顕彰する碑や、北海道の記念保護樹木に指定された赤松です。
神社を参拝するだけでなく、三笠という町がどのように発展してきたのかを考える機会にもなりました。
この記事では、現地で撮影した15枚の写真を使いながら、市来知神社の由緒と境内の見どころを紹介します。
市来知神社とは?1882年に始まる三笠の歴史ある神社
市来知神社は、北海道三笠市宮本町に鎮座する神社です。
北海道神社庁によると、その始まりは1882年(明治15年)。市来知村の開村と同じ年に、達布山に小さな祠が建てられました。
その後、1886年(明治19年)に現在地へ境内を定め、神殿を建設。同年7月7日には遷座祭と初めての例大祭が行われています。
1888年(明治21年)には「市来知神社」という社名を称えるようになり、1943年(昭和18年)には郷社に昇格しました。
現在の三笠市の歴史を語るうえでも、重要な神社の一つです。
「市来知」という名前の由来
市来知という地名も、三笠の歴史を知るうえで興味深いものです。
三笠ジオパークの公式解説によると、「市来知」はアイヌ語の「イ・チャル・ウシ」に由来し、熊の足跡が多くある場所という意味があるとされています。
現在の三笠市は、市来知・幌内・幾春別などの地域が合わさって発展してきました。
その歴史を知ると、市来知神社という名前にも特別な意味が感じられます。
境内には由緒を伝える案内板がある
現地では、「市来知神社由緒」を記した案内板が設置されていました。

案内板には、明治時代から続く神社の歴史が記されています。

現地を訪れた際は、参拝だけでなく、こうした由緒案内にも目を通してみると、神社への理解が深まると思います。
市来知神社の入口|石柱と白い鳥居
市来知神社の境内を歩いていると、「市来知神社」と刻まれた大きな石柱が目に入りました。

周囲には石灯籠や大きな木々があり、歴史ある神社らしい雰囲気が感じられます。
白い鳥居が印象的な参道
参道には白い鳥居が建っています。
鳥居の両側には石灯籠が並び、その奥へ道が続いていました。

参道は木々に囲まれており、建物が密集した市街地とは少し違う雰囲気です。
神社の境内でありながら、地域の人々に身近な緑地としての一面も感じられました。
市来知神社の見どころ①|空知集治監と渡辺惟精翁顕彰碑
市来知神社で特に注目したいのが、「渡辺惟精翁顕彰碑」です。
渡辺惟精(わたなべ これあき)は、明治時代に三笠へ設置された空知集治監の初代典獄、現在でいう刑務所長にあたる人物です。
三笠ジオパークの公式解説でも、市来知神社の境内に渡辺惟精の碑があることが紹介されています。
境内で渡辺惟精翁顕彰碑を発見
実際に境内を歩くと、大きな石造りの顕彰碑が建っていました。
周囲には木々が生い茂り、そばには説明看板も設置されています。

すぐそばには「渡辺惟精翁顕彰碑」と記された標識もありました。

三笠の発展と空知集治監の歴史
三笠市では、1882年に空知集治監が設置されました。
当時、収容されていた囚人たちは道路の建設や石炭産業に関わる労働にも従事していました。
現在の三笠市の発展を振り返る際には、炭鉱や鉄道だけでなく、空知集治監とそこで働かされた人々の存在も忘れることはできません。
顕彰碑は渡辺惟精の功績をたたえるものですが、その時代の北海道開拓には過酷な労働の歴史があったことも、あわせて知っておきたいところです。
市来知神社は、こうした三笠の歴史に触れられる場所でもあります。
三笠市立博物館では、空知集治監の歴史に関する資料も展示されており、神社の取材と合わせて訪れると、当時の三笠についてより深く学べます。
市来知神社の見どころ②|北海道の記念保護樹木「赤松」
渡辺惟精翁顕彰碑の周辺では、立派な赤松の木々も確認できました。
現地には「市来知神社の赤松記念保護樹木」と書かれた案内板があります。

北海道神社庁の公式情報でも、市来知神社には北海道百年記念樹のアカマツがあると紹介されています。
また、北海道の記念保護樹木の指定資料では、市来知神社の赤松が昭和49年3月30日に指定され、囚人の手によって植えられた樹木と記録されています。
こうした木々を前にすると、自然そのものが歴史を伝える存在であることを感じます。
神社を訪れた際は、社殿だけでなく、参道周辺の木々にも目を向けてみてください。
市来知神社の見どころ③|七五三ののぼりが並ぶ参道
今回の取材では、参道に「七五三」と書かれたのぼりが並んでいました。
秋の神社らしい光景です。

参道を歩いていくと、木々の奥に社殿が見えてきます。
境内は木立に囲まれており、周囲の景色を眺めながらゆっくり歩きたくなる雰囲気でした。
なお、七五三の祈祷受付日や予約方法については今回確認していないため、希望する場合は神社へ直接お問い合わせください。
市来知神社の見どころ④|フクロウがいる手水舎
市来知神社の境内で、もう一つ印象に残ったのが手水舎です。
木造の屋根に覆われた手水鉢のそばには、フクロウをかたどった装飾が置かれていました。

手水舎というと、伝統的な石造りのものを思い浮かべますが、こうした少し親しみやすい装飾があるのも面白いところです。
フクロウの姿が印象的だったので、写真に収めておきました。
市来知神社の社殿を参拝|木造の建物と扁額
参道を進んだ先には、市来知神社の社殿があります。
木材を使った重厚感のある建物で、正面には大きな屋根が張り出しています。

社殿の正面には木製の扁額
社殿の上部には、木製の扁額が掲げられています。
「市来知神社」の文字が刻まれ、その下には白い幕が掛けられていました。

社殿を近くで見ると、木の質感や柱、屋根の造りなど、細部まで目を向けたくなります。
北海道神社庁の公式案内によると、市来知神社の社殿様式は神明造です。
現在の建物にも、歴史ある神社としての落ち着いた雰囲気が感じられました。
市来知神社の御祭神
北海道神社庁によると、市来知神社では次の七柱の神々をお祀りしています。
- 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
- 豊宇気毘賣神(とようけひめのかみ)
- 大山祇神(おおやまつみのかみ)
- 大國主神(おおくにぬしのかみ)
- 倉稲魂神(うかのみたまのかみ)
- 大國魂神(おおくにたまのかみ)
- 少彦名神(すくなひこなのかみ)
市来知神社は長い年月の中で、他の神社を合祀してきた歴史もあります。
市来知神社の御朱印は?現地の案内を確認
神社を訪れる方の中には、御朱印を目的としている方もいると思います。
今回の取材では、御朱印所に関する案内看板を確認できました。

案内には「御朱印所」「朱印料500円」と書かれていました。
ただし、この金額は取材時に掲示されていたものです。
御朱印の授与時間、書き置きの有無、現在の料金などは、訪れる前に神社へ確認してください。
社務所も撮影
御朱印所の案内があった社務所の外観も撮影しました。

御朱印の授与を希望する方は、余裕を持って訪問するとよいでしょう。
境内には「市来知神社演舞場」もあった
市来知神社では、社殿や参道だけでなく、「市来知神社演舞場」と書かれた建物も確認しました。

北海道神社庁の由緒によると、1981年(昭和56年)、市来知神社の創祀百年記念として境内に演舞場が建設されたと記録されています。
今回の取材では外観を撮影しましたが、内部の利用状況や行事予定などは確認していません。
神社の祭礼や地域の行事を支える施設として、こうした建物が残されていることも印象に残りました。
市来知神社と三笠の炭鉱・開拓の歴史
三笠市は、北海道の炭鉱と鉄道の歴史を語るうえで欠かせない地域です。
1879年(明治12年)には幌内炭鉱が開坑し、1882年には北海道最初の鉄道が幌内と小樽の手宮を結びました。
同じ1882年には市来知村が開村され、空知集治監も設置されています。
市来知神社は、まさにそうした三笠の歴史が大きく動き始めた時代に誕生しました。
今回、実際に神社を訪れてみると、社殿や鳥居だけでなく、渡辺惟精翁顕彰碑や赤松の記念保護樹木など、当時の歴史を今に伝えるものが残されていることが分かりました。
神社の由緒を知ったうえで境内を歩くと、同じ風景も少し違って見えるのではないでしょうか。
三笠の炭鉱神社にも注目
街角タイムス北海道取材部では、三笠市の幌内地区にある「幌内神社本殿跡」も取材しています。
こちらは、かつて炭鉱で働く人々の安全を願う場所として存在した神社です。
現在は社殿が失われ、石碑や鳥居などが残されています。
同じ三笠市内でも、市来知神社と幌内神社本殿跡では、見ることのできる風景や伝わってくる歴史が異なります。
また、炭鉱の歴史そのものに興味がある方には、幌内地区の産業遺産をまとめた現地取材記事もおすすめです。
市来知神社のアクセス・基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | 市来知神社 |
| 読み方 | いちきしりじんじゃ |
| 所在地 | 北海道三笠市宮本町488番地 |
| 電話番号 | 01267-2-2071 |
| 創祀 | 1882年(明治15年) |
| 例祭日 | 9月5日 |
| 旧社格 | 郷社 |
| 主な見どころ | 社殿、鳥居、手水舎、渡辺惟精翁顕彰碑、赤松の記念保護樹木、演舞場 |
| 御朱印 | 取材時は案内掲示あり。朱印料500円と表示 |
| 駐車場 | 参拝者用の具体的な利用条件は未確認 |
| トイレ | 利用可否は未確認 |
公共交通機関でのアクセス
北海道神社庁の案内では、JR岩見沢駅から中央バスを利用し、三笠市内の「宮本町」「市立病院前」などの停留所から向かう方法が紹介されています。
ただし、バスの系統や運行時刻は変更されることがあります。
訪問前に最新の時刻表を確認してください。
車で訪れる場合の注意点
今回の取材では、境内周辺に車が停まっている様子も確認しました。
ただし、参拝者用の駐車スペースの位置や利用条件については十分な確認ができていません。
車で訪れる場合は、現地の案内に従い、通行の妨げにならないようご注意ください。
現地取材で感じた市来知神社の魅力
今回、市来知神社を取材して印象に残ったのは、神社の歴史と三笠市の歴史が深く結びついていることでした。
白い鳥居をくぐり、木々のある参道を進み、社殿へ向かう。
それだけでも神社らしい雰囲気を感じられます。
しかし、境内にある渡辺惟精翁顕彰碑や赤松の記念保護樹木を見ていると、この場所が単なる参拝の場ではないことに気づかされます。
三笠市という町が生まれ、炭鉱と鉄道によって発展していった時代。
その背景にあった空知集治監の歴史。
市来知神社には、そうした地域の歩みを考えるきっかけが残されています。
また、フクロウのいる手水舎や、秋の七五三ののぼりなど、親しみやすい風景も見ることができました。
歴史の深さと、地域の神社としての身近さ。
その両方を感じられたことが、今回の取材で印象に残っています。
⑦ よくある質問(FAQ)
Q1. 市来知神社はどこにありますか?
北海道三笠市宮本町488番地にあります。三笠市の中心部に位置する神社です。
Q2. 市来知神社はいつ創建された神社ですか?
北海道神社庁によると、1882年(明治15年)に達布山へ小祠を建立したことが始まりです。1886年に現在地へ境内を定めました。
Q3. 市来知神社の読み方は?
「いちきしりじんじゃ」です。
Q4. 市来知神社では御朱印をいただけますか?
現地取材では御朱印所の案内を確認しました。取材時の掲示には朱印料500円とありましたが、現在の授与時間や料金は神社へ確認してください。
Q5. 市来知神社の見どころは?
白い鳥居、木造の社殿、フクロウの装飾がある手水舎、渡辺惟精翁顕彰碑、北海道の記念保護樹木である赤松などがあります。
Q6. 渡辺惟精翁顕彰碑とは何ですか?
渡辺惟精は空知集治監の初代典獄を務めた人物です。市来知神社の境内には、その功績を伝える顕彰碑が建っています。
Q7. 市来知神社には駐車場がありますか?
今回の取材では、参拝者用駐車場の具体的な利用条件までは確認できていません。車で訪れる場合は、現地の表示や神社への確認をお願いします。
Q8. 市来知神社の例祭日はいつですか?
北海道神社庁の公式案内では、例祭日は9月5日とされています。実際の祭礼行事の日程や内容については、神社の最新情報をご確認ください。
まとめ|市来知神社は三笠の開拓と地域の歴史を伝える神社
今回、街角タイムス北海道取材部では、三笠市の市来知神社を現地取材しました。
1882年に始まった歴史ある神社の境内には、鳥居や社殿だけでなく、渡辺惟精翁顕彰碑や赤松の記念保護樹木など、三笠の歩みを伝える見どころが残されています。
また、フクロウの装飾がある手水舎や、秋の七五三ののぼりなど、地域の神社としての親しみやすさも感じられました。
三笠市を訪れる際には、炭鉱遺産や鉄道の史跡と合わせて、市来知神社にも足を運んでみてはいかがでしょうか。
その場所を実際に歩いてみることで、歴史の説明を読むだけでは気づかなかった三笠の姿に出会えるかもしれません。
取材・写真:街角タイムス北海道取材部
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参考資料
※掲載情報は取材時および確認時点のものです。最新の行事予定や御朱印の授与については、神社へお問い合わせください。
