幌内神社本殿跡を現地参拝!三笠の炭鉱神社・社殿崩壊の歴史と現在

幌内神社の石碑 三笠市
2026年10月撮影

北海道三笠市の幌内地区。かつて多くの炭鉱労働者やその家族が暮らしていた町の一角に、今も鳥居と石段が残る神社があります。

「幌内神社(ほろないじんじゃ)」です。

1880年(明治13年)に始まった幌内神社は、炭鉱で働く人々が安全や石炭の豊かな産出を祈願した神社でした。

しかし、現在はかつての本殿の建物はなく、鳥居や狛犬、石碑などが残されています。

街角タイムス北海道取材部では、旧幌内炭鉱変電所を取材した際、すぐ近くにある幌内神社本殿跡にも実際に足を運びました。

苔むした長い石段を上り、鳥居をくぐると、その先にあったのは社殿ではなく、「奉鎮 幌内神社」と刻まれた石碑でした。

境内には屋根の形をした部材も地面に残されており、かつてここに神社の建物があったことを伝えていました。

この記事では、現地で撮影した写真を使いながら、幌内神社の歴史、2001年の雪害、現在の本殿跡、旧幌内炭鉱変電所との位置関係、見学時の注意点について詳しく紹介します。

  1. 幌内神社とは?1880年から炭鉱の町を見守ってきた神社
    1. 1880年に炭鉱の守り神として祀られた
    2. 榎本武揚も参拝した歴史がある
    3. かつての炭山祭りは多くの人々でにぎわった
  2. 旧幌内炭鉱変電所の近くに残る幌内神社本殿跡
    1. 三笠ジオパークC-02の案内板で位置を確認
  3. 幌内神社本殿跡を実際に歩いてみた
    1. 木に設置された幌内神社の歴史案内板
    2. 苔むした長い石段が残されていた
    3. 石段の先に鳥居が見えてきた
  4. 鳥居の奥にあったのは社殿ではなく石碑だった
    1. 本殿跡には短い石段と石碑が残る
    2. 「奉鎮 幌内神社」と刻まれた石碑
  5. 幌内神社の社殿は2001年の雪害で大破していた
    1. 現地には屋根状の部材が残されていた
    2. 社殿が失われても神社の歴史は続いている
    3. 旧幌内炭鉱変電所の内部に残されていた幌内神社の扁額
  6. 境内には狛犬や石造物も残されている
  7. 幌内神社と常磐坑の坑口神社は別の場所
  8. 幌内神社本殿跡へのアクセス・見学情報
    1. 車で訪れる場合
    2. 神社跡へは石段を上る必要がある
    3. 散策路の開放情報を確認する
  9. 幌内神社本殿跡を訪れる際の注意点
    1. 石段や古い構造物には注意
    2. ヒグマや天候への対策
  10. 近くにある旧幌内炭鉱変電所も訪れてほしい
  11. 幌内神社のよくある質問
    1. 幌内神社はいつ創建された神社ですか?
    2. 幌内神社の本殿は現在もありますか?
    3. 幌内神社の社殿はなぜなくなったのですか?
    4. 幌内神社は廃神社なのですか?
    5. 幌内神社と坑口神社は同じ場所ですか?
    6. 幌内神社には現在も参拝できますか?
  12. まとめ|社殿がなくなっても、幌内神社の歴史は残っている

幌内神社とは?1880年から炭鉱の町を見守ってきた神社

幌内神社は、北海道三笠市幌内本沢町にある神社です。

三笠ジオパークでは「幌内神社本殿跡」として紹介されており、旧幌内炭鉱変電所の近くに位置しています。

幌内炭鉱の歴史と深く関わる神社で、かつては炭鉱労働者や地域住民の信仰を集めていました。

1880年に炭鉱の守り神として祀られた

幌内神社の始まりは1880年(明治13年)です。

幌内炭鉱が開坑した翌年にあたります。

当時、炭鉱では山の神を祀り、地下で働く人々の安全と石炭の豊かな産出を祈願する信仰がありました。

幌内神社も、こうした炭鉱の守り神として始まった神社です。

北海道神社庁によると、現在登録されている御祭神は次の三柱です。

  • 大國主神(おおくにぬしのかみ)
  • 大山祇神(おおやまつみのかみ)
  • 鹿屋野姫神(かやぬひめのかみ)

特に大山祇神は山の神として知られ、鉱山や炭鉱の安全を願う信仰とも関係しています。

地下の炭鉱で働くことには、さまざまな危険が伴いました。

そうした時代に、人々が安全を祈る場所として神社が存在していたのです。

榎本武揚も参拝した歴史がある

北海道神社庁の由緒には、1882年(明治15年)に榎本武揚が幌内神社を参拝し、社号額を奉納したことが記されています。

榎本武揚は、明治時代の北海道開拓や近代化に関わった人物です。

炭鉱の町にある神社ですが、北海道の開拓史ともつながっていることが分かります。

また、1902年(明治35年)には大三島の神社から分霊を迎え、同年4月に「幌内神社」と公称するようになったとされています。

小さな山の神への信仰から始まり、炭鉱の発展とともに地域の神社として歩んできたのです。

かつての炭山祭りは多くの人々でにぎわった

現在の幌内神社本殿跡は、木々に囲まれた静かな場所です。

しかし、かつては多くの人々が集まる場所でした。

三笠ジオパークの公式資料によると、5月の炭山祭りには、炭鉱で働く人々だけでなく、近くの村からも多くの人々が集まりました。

相撲や芝居などが行われ、空知集治監の囚人たちも仕事を休んで祭りに参加していたそうです。

炭鉄港デジタル資料館には、1898年(明治31年)に撮影された幌内神社の例祭写真も紹介されています。

炭鉱というと、どうしても採炭設備や坑口、鉄道などに目が向きがちです。

しかし、幌内神社の歴史を知ると、そこで働いていた人々の暮らしや楽しみ、地域のつながりも見えてきます。

旧幌内炭鉱変電所の近くに残る幌内神社本殿跡

今回、街角タイムス北海道取材部では、三笠市の旧幌内炭鉱施設群を現地取材しました。

その際、赤レンガ造りの旧幌内炭鉱変電所を訪れています。

幌内神社本殿跡は、その変電所の近くにあります。

三笠ジオパークC-02の案内板で位置を確認

変電所の近くには、三笠ジオパークの青い案内板「C-02」が設置されています。

この案内板には、旧幌内炭鉱変電所と幌内神社本殿跡が並んで紹介されていました。

三笠ジオパークC-02旧幌内炭鉱変電所と幌内神社本殿跡の歴史案内板
旧幌内炭鉱変電所と幌内神社本殿跡を紹介するC-02案内板。炭鉱の機械化と安全祈願という、異なる歴史を伝えている。
街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影

変電所が電力によって炭鉱の機械化を支えた施設なら、幌内神社はそこで働く人々の安全を願う場所でした。

役割は違いますが、どちらも幌内炭鉱の歴史を知るうえで大切な存在です。

幌内神社本殿跡を実際に歩いてみた

幌内神社へ向かうと、周囲は木々に囲まれていました。

現地には神社の歴史を紹介する説明板も設置されています。

現在の姿だけでは分からない、かつての幌内神社の様子を知る手がかりになりました。

木に設置された幌内神社の歴史案内板

現地には、「幌内神社」と書かれた説明板がありました。

三笠市の幌内神社本殿跡に設置された創建や炭山祭りの歴史を紹介する説明板
幌内神社の由緒を伝える説明板。炭鉱の守り神としての歴史や、地域で行われた祭りなどが紹介されている。
街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影

説明板には、明治時代の幌内炭鉱と神社の関係が記されています。

現在の静かな風景と、かつて多くの人々が集まっていたという歴史。

その違いが印象的でした。

苔むした長い石段が残されていた

神社へ向かう途中には、長い石段が残っていました。

幌内神社本殿跡へ向かう苔むした長い石段と周囲の森林
幌内神社本殿跡へ続く石段。取材時は苔や落ち葉が広がっていた。
街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影

階段の表面には苔が広がり、落ち葉も積もっています。

両側には木々が生い茂り、長い年月が経過していることを感じさせます。

かつては炭鉱で働く人々やその家族が、祭りや参拝のためにこの石段を上っていたのでしょう。

石段の先に鳥居が見えてきた

さらに進むと、石段の先に鳥居が見えてきました。

幌内神社本殿跡の参道に残る苔むした石段と鳥居
幌内神社の参道。苔むした石段を上った先に鳥居が残されている。
街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影

周囲には木々が広がっています。

現在も石段と鳥居が残されていることで、かつてここが神社への参道だったことが分かります。

ただし、石段には苔が多く、雨の後などは滑りやすくなる可能性があります。

実際に訪れる際は、足元に十分注意してください。

鳥居の奥にあったのは社殿ではなく石碑だった

石段を上り、鳥居のある場所まで進みました。

そこには、現在も大きな鳥居が残されています。

そして鳥居の奥には、さらに石段があり、その先に石碑が建っていました。

三笠市幌内神社本殿跡に残る鳥居と石段、その奥に建つ奉鎮幌内神社の石碑
幌内神社本殿跡の鳥居。奥には社殿ではなく石碑が建っており、かつての神社の姿を今に伝えている。
街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影

今回の取材で、とても印象に残った光景です。

鳥居があり、石段も残っている。

しかし、かつてそこにあった本殿の建物は見当たりません。

周囲を見渡すと、狛犬や石造物など、神社があったことを示すものが残されていました。

本殿跡には短い石段と石碑が残る

鳥居の奥に進むと、さらに短い石段がありました。

幌内神社本殿跡の苔むした短い石段と奥に残る石碑
鳥居の奥にある本殿跡の石段。かつての社殿があった場所には石碑が建っている。
街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影

石段の周囲には苔が広がり、近くには木々が生い茂っていました。

現在の本殿跡は、かつての建物の規模やにぎわいを直接感じられる状態ではありません。

それでも、こうして神社の配置が分かる形で石段が残されていることには大きな意味があると思います。

「奉鎮 幌内神社」と刻まれた石碑

石段の先には、立派な石碑が建っていました。

中央には「幌内神社」と刻まれ、上部には「奉鎮」の文字が見えます。

幌内神社本殿跡に建てられた奉鎮幌内神社の石碑
本殿跡に残る「奉鎮 幌内神社」の石碑。社殿が失われた現在も、ここに神社があったことを伝えている。
街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影

周囲の苔むした石段とは異なり、石碑は文字がはっきりと確認できる状態でした。

かつての社殿は失われていますが、その存在を伝えようとする思いが、この場所に残されているように感じました。

幌内神社の社殿は2001年の雪害で大破していた

幌内神社の歴史を調べると、社殿が失われた背景には大きな雪害があったことが分かります。

北海道神社庁の由緒によると、2001年(平成13年)の雪害によって、幌内神社の社殿は大破しました。

北海道の冬は雪が多く、古い建物の維持管理にはさまざまな課題があります。

幌内神社も例外ではありませんでした。

※月形町にある樺戸神社も雪害によって社殿が大破しております。

樺戸神社を現地取材!雪害で拝殿が倒壊、再建を目指す月形町の神社【御朱印あり】

現地には屋根状の部材が残されていた

今回の取材では、本殿跡の敷地に大きな屋根状の部材が横たわっているのを確認しました。

幌内神社本殿跡の地面に残る旧社殿に由来するとみられる屋根状の部材
2026年10月撮影

屋根の表面には小さな四角い部材が規則的に並んでおり、長年の風雨にさらされたような状態でした。

北海道神社庁には2001年の雪害による社殿大破の記録がありますが、今回撮影した部材が、その際に倒壊した社殿のどの部分なのかまでは確認できていません。

そのため、この記事では現地で見た状態をそのまま記録しています。

社殿が失われても神社の歴史は続いている

ここで大切なのは、社殿が残っていないことと、神社そのものの信仰や祭祀が失われたことは同じではないという点です。

北海道神社庁の掲載情報によると、幌内神社は閉山後に神職が常駐しない兼務社となり、2001年の雪害後も祭典が続けられているとされています。

また、貴重な宝物については峯延神社で保管していることも記されています。

現在の本殿跡に建物が残っていなくても、幌内神社の歴史や信仰は記録として受け継がれているのです。

旧幌内炭鉱変電所の内部に残されていた幌内神社の扁額

今回の取材では、幌内神社本殿跡だけでなく、すぐ近くにある旧幌内炭鉱変電所の内部も見学する機会に恵まれました。

そこで、とても印象的なものを見つけました。

「幌内神社」と書かれた木製の扁額です。

その周囲には、白馬を描いた絵馬と思われる額や、小さな社殿の模型、灯籠など、神社に関係する品々が並べられていました。

旧幌内炭鉱変電所の内部に残されていた幌内神社の扁額や絵馬、神社関連の品々
旧幌内炭鉱変電所の内部で確認した幌内神社の扁額と関連資料。社殿が失われた後も、神社の歴史を伝える品々が残されていた。
街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影

幌内神社は2001年の雪害で社殿が大破し、現在の本殿跡には鳥居や石段、石碑などが残っています。

しかし、そのすぐ近くの変電所には、神社に関係する品々がこうして残されていたのです。

本殿跡を実際に歩いた後に、この扁額を見たことで、かつて幌内神社に社殿があり、多くの人々が信仰を寄せていたことを、より身近に感じました。

また、変電所では管理されている女性と石炭ストーブを囲みながら、炭鉱の歴史や、貴重な施設を後世にどう残していくかについてお話しする機会もありました。

建物が失われても、そこにあったものや歴史を大切に残そうとする人たちがいる。

今回の取材で、特に心に残ったことの一つです。

幌内神社の本殿跡を訪れる際には、近くにある旧幌内炭鉱変電所にも目を向けてほしいと思います。

内部は常時公開ではありませんが、見学できる機会があれば、建物や炭鉱の設備だけでなく、こうした神社の歴史を伝える品々にも注目してみてください。

境内には狛犬や石造物も残されている

本殿跡の周囲には、鳥居や石段、石碑だけでなく、狛犬や石造物も残されていました。

幌内神社本殿跡に残る狛犬と石段、森林に囲まれた境内の様子
幌内神社本殿跡の境内。石段の両側には狛犬などの石造物が残り、周囲には木々が広がっている。
街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影

神社の社殿がなくなっても、石で造られたものは残っている。

その光景が印象的でした。

かつてこの場所には社殿があり、多くの人々が訪れ、祭りが行われていました。

現在は木々が生い茂り、かつてのにぎわいを直接感じることは難しくなっています。

しかし、狛犬や鳥居、石段を見ていると、ここが炭鉱の町の人々にとって大切な場所だったことが伝わってきます。

こうした小さな痕跡を一つずつ記録することにも、現地取材の意味があると感じました。

幌内神社と常磐坑の坑口神社は別の場所

幌内炭鉱の周辺には、幌内神社のほかに「坑口神社」も残されています。

名前が似ていますが、別の場所です。

幌内神社本殿跡は、旧幌内炭鉱変電所の近くにあります。

一方、坑口神社は旧幌内炭鉱常磐坑の2つの坑口の間に残されています。

常磐坑の坑口神社では、鳥居の奥に小さな社殿があり、その左右に石炭の運搬や作業員の出入りに使われた坑口が残っています。

幌内神社が炭鉱の町全体の信仰や祭りの中心だったのに対し、坑口神社は地下で働く人々が出入りする場所に設けられた安全祈願の場でした。

今回、街角タイムス北海道取材部では、常磐坑の坑口神社も実際に訪れ、写真を撮影しています。

幌内炭鉱の歴史を知る際には、この2つの神社を区別して見学すると理解が深まると思います。

幌内神社本殿跡へのアクセス・見学情報

項目内容
名称幌内神社本殿跡
所在地北海道三笠市幌内本沢町
神社庁の登録住所三笠市幌内本沢町314番地
創始1880年(明治13年)
主な遺構鳥居、石段、狛犬、石碑など
周辺施設旧幌内炭鉱変電所
案内板三笠ジオパークC-02
見学散策路の開放状況と立入制限を事前確認
問い合わせ三笠ジオパーク推進協議会
電話01267-2-3997

車で訪れる場合

道央自動車道の三笠ICから幌内方面に向かいます。

幌内神社本殿跡は旧幌内炭鉱変電所の近くにあり、C-02の案内板で位置関係を確認できます。

専用駐車場の有無や利用可能な場所は確認できていないため、現地の駐車案内や車両進入制限に従ってください。

神社跡へは石段を上る必要がある

今回の取材で確認したように、本殿跡へ向かうには石段を上る必要があります。

石段には苔が多く、落ち葉も積もっていました。

特に雨の後は滑りやすくなる可能性があるため、歩きやすい靴で訪れるのがおすすめです。

散策路の開放情報を確認する

旧幌内炭鉱散策路には冬季閉鎖期間があります。

また、降雨や倒木、野生動物の出没などによって、立入可能な範囲が変わることも考えられます。

見学前には三笠ジオパークの最新案内を確認してください。

三笠ジオパーク公式サイト

幌内神社本殿跡を訪れる際の注意点

石段や古い構造物には注意

幌内神社本殿跡では、苔むした石段や古い石造物、地面に残る屋根状の部材などを確認しました。

破損した部材に触れたり、上に乗ったりすることは避けてください。

また、神社跡の周囲には草木が伸びている場所もあるため、整備された範囲から無理に奥へ進まないようにしましょう。

ヒグマや天候への対策

幌内神社本殿跡は森林に囲まれています。

事前にヒグマの出没情報や天気予報を確認し、危険がある場合は無理に訪れないことが大切です。

今回の三笠取材では、同じ日に突然の雷雨やあられに見舞われる時間帯もありました。

山あいでは天候が変化することもあるため、雨具を用意し、天候が悪化した際には安全を優先してください。

近くにある旧幌内炭鉱変電所も訪れてほしい

幌内神社本殿跡を訪れるなら、近くにある旧幌内炭鉱変電所も知っておきたい施設です。

1919年頃に建てられた歴史ある変電所で、現在も赤レンガとコンクリートを組み合わせた建物が残されています。

今回、街角タイムス北海道取材部では、幸運にも変電所の内部を見学する機会に恵まれました。

現地を管理されている女性と石炭ストーブを囲みながら、炭鉱の歴史についてさまざまなお話をさせていただきました。

その中で印象に残ったのが、こうした貴重な施設を後世にどう残していくかが課題だというお話です。

幌内神社本殿跡を訪れると、その言葉の意味を改めて考えさせられます。

社殿が失われても、鳥居や石段、石碑が残されている。

もしこれらの遺構も失われてしまえば、ここに神社があったことを現地で知るのは、さらに難しくなるかもしれません。

変電所と幌内神社。

異なる歴史を持つ施設ですが、どちらも次の世代に伝えていきたい幌内の歴史だと思います。

なお、旧幌内炭鉱変電所の内部は常時公開されていません。見学を希望する場合は、公開日などを事前に確認してください。

旧幌内炭鉱変電所を現地取材!内部見学・歴史・公開日・アクセスを紹介

幌内神社のよくある質問

幌内神社はいつ創建された神社ですか?

1880年(明治13年)に、幌内炭鉱の守り神として祀られたことに始まります。

幌内神社の本殿は現在もありますか?

かつての本殿の建物は、現在の跡地には残っていません。鳥居、石段、狛犬、石碑などを見ることができます。

幌内神社の社殿はなぜなくなったのですか?

北海道神社庁によると、2001年(平成13年)の雪害によって社殿が大破したとされています。幌内炭鉱の閉山後には神社を取り巻く環境も大きく変化していました。

幌内神社は廃神社なのですか?

現地の社殿は失われていますが、北海道神社庁の掲載情報には兼務社として祭典が続けられている旨が記載されています。そのため、単純に「廃神社」と断定するのは適切ではありません。

幌内神社と坑口神社は同じ場所ですか?

いいえ。幌内神社本殿跡は旧幌内炭鉱変電所の近くにあり、坑口神社は旧幌内炭鉱常磐坑の坑口の間に残されています。

幌内神社には現在も参拝できますか?

本殿跡には鳥居や石碑などが残っていますが、通常の神社のように社殿で参拝できる状態ではありません。現地の見学可能な範囲や安全情報を確認し、石碑や遺構を大切に扱ってください。

まとめ|社殿がなくなっても、幌内神社の歴史は残っている

1880年に始まり、炭鉱の町の人々が安全を祈ってきた幌内神社。

かつては多くの人々が集まり、祭りが行われ、地域の中心となっていた場所でした。

今回、実際に現地を訪れてみると、苔むした石段の先に鳥居が残されていました。

その先にあったのは、かつての社殿ではなく「奉鎮 幌内神社」と刻まれた石碑でした。

境内には狛犬や石造物、屋根状の部材も残されていました。

北海道神社庁の資料によると、社殿は2001年の雪害で大きな被害を受けたとされています。

今では、かつての神社のにぎわいを現地で直接感じることは難しくなっています。

しかし、鳥居や石段、石碑が残っていることで、この場所が炭鉱で働く人々にとって大切な場所だったことを知ることができます。

炭鉱の歴史というと、石炭の採掘や鉄道、大きな機械に注目しがちです。

けれども、そこには人々の暮らしがあり、信仰があり、日々の安全を願う思いがありました。

幌内神社は、そうした炭鉱の町のもう一つの歴史を伝えている場所です。

今回の取材で、旧幌内炭鉱変電所を管理されている方から、歴史的な施設を後世にどう残していくかという課題について伺いました。

幌内神社本殿跡を訪れ、その言葉を改めて思い出しました。

建物は失われても、そこにあった歴史まで失われてよいわけではない。

街角タイムス北海道では、実際に現地へ足を運び、残されているものを写真と文章で記録していきたいと思います。

いつか、この場所を訪れたことのない人にも、かつて幌内神社という地域の大切な場所があったことを知ってもらえたらうれしいです。

取材・写真:街角タイムス北海道取材部

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公式・参考資料

※歴史や祭祀に関する情報は公式資料を参照し、現地の景観や遺構の状態は街角タイムス北海道取材部の取材時の写真をもとに記載しています。公開状況や現地の安全状況は変更される場合があります。

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