この記事からは、石狩市厚田エリアの記事を横につなぎます。
北海道石狩市厚田区古潭。
日本海に面する現在の古潭漁港の近くに、厚田の歴史を伝える2つの石碑があります。
ひとつが「弁財船投錨地碑」。
もうひとつが「厚田村発祥之地碑」です。
街角タイムス北海道取材部が実際に古潭を訪れ、現在の様子を確認してきました。
現在は静かな漁港の風景が広がっていますが、この一帯はかつて弁財船が行き交い、多くの人や物が集まった場所でした。石狩市も「旧厚田村発祥地 弁財船投錨地(古潭)」として歴史文化スポットに位置付けています。
弁財船投錨地碑と厚田村発祥之地碑を現地取材
現地へ行ってまず印象に残ったのは、石碑のすぐ向こうに現在の古潭漁港が広がっていることでした。
単独で石碑だけを見るより、実際の海や港を背景に立ってみると、「ここへ船が入ってきた場所だった」という歴史を想像しやすくなります。

弁財船投錨地碑とは
石狩市教育委員会によると、江戸時代、この古潭に隣接する**押琴(オショロコツ)**には厚田場所の拠点となる運上屋が置かれていました。
押琴の入江は南北を岩礁に囲まれた天然の良港で、多くの弁財船が停泊していたとされています。
その歴史を記念し、旧厚田村が平成5年(1993年)に建立したのが「弁財船投錨地碑」です。

「投錨」とは船がいかりを下ろすこと
「投錨(とうびょう)」とは、船がいかりを下ろして停泊することです。
つまり弁財船投錨地碑は、この周辺の入江が船の停泊地として利用され、多くの船が行き交った歴史を伝える碑ということになります。
弁財船と北前船が厚田へやって来た
石狩市の資料では、押琴は弁財船が停泊できる場所で、江戸時代末期には運上屋も置かれていたとされています。
別の石狩市公式資料では、押琴には30数隻もの弁財船が停泊できたと紹介されています。
当時は現在のような道路交通が整備されていません。
石狩市教育委員会の資料では、春から秋にかけて大阪から瀬戸内海、日本海を北上してきた弁財船が、本州と北海道を結ぶ交易船として重要な役割を果たしたと説明されています。
現在の静かな古潭漁港からは想像しにくいですが、かつては船、人、物資が集まる重要な場所だったことがわかります。
現地には古潭の歴史を説明する案内板もある
碑のそばには、弁財船や古潭の歴史を説明する案内板があります。
石碑だけを見て帰るのではなく、この解説まで確認すると、この場所がなぜ厚田の歴史で重要なのかがかなり理解しやすくなります。

古潭には運上屋や弁天社、稲荷社もあった
石狩市教育委員会が紹介する松浦武四郎の記録には、当時の押琴周辺に、
- 運上屋
- 板倉
- 漁具屋
- 弁天社
- 稲荷社
- 勤番所
- 出稼所
などが存在していたことが記録されています。
単なる船の停泊地ではなく、漁業や交易を中心とする一つの拠点だったことがわかります。
厚田周辺の神社や漁港を実際に歩いていると、それぞれが独立した観光スポットなのではなく、海と漁業を中心として発展してきた地域の歴史につながっていることが見えてきます。
隣には「厚田村発祥之地碑」
弁財船投錨地碑の隣にあるのが「厚田村発祥之地碑」です。

石狩市教育委員会によると、この碑は昭和43年(1968年)に旧厚田村によって建立されました。
なぜ古潭が「発祥の地」とされるのか。
その背景には、明治初期の古潭が厚田地域の行政上重要な場所だった歴史があります。
明治初期には古潭が厚田郡の中心だった
明治3年には開拓使厚田出張所が古潭に置かれ、古潭村は当時の厚田郡の行政中心地となっていました。
その後、地域の中心は次第に厚田村へ移ります。
明治35年(1902年)には押琴村と古潭村が厚田村の大字となり、さらに平成17年(2005年)の厚田村と石狩市の合併を経て、現在の「石狩市厚田区古潭」となっています。
現在だけを見ると小さな漁港のある地域ですが、歴史をたどると厚田の形成に深く関わっていた場所だとわかります。
現地で感じた古潭の面白さ
今回、街角タイムス北海道取材部が現地を訪れて感じたのは、歴史碑と現在の漁港を同じ場所で見られることです。
「昔ここに港があった」という場所ではありません。
姿は変わっていても、現在もすぐ目の前に漁港があります。
かつて弁財船が往来した海を眺めながら碑を読むことで、古潭という土地の歴史がより立体的に感じられました。
厚田観光では歴史スポットも一緒に見てほしい
厚田というと、現在では「道の駅石狩 あいろーど厚田」や日本海の景色などがよく知られています。
しかし、古潭まで足を延ばすと、厚田が長い間海・ニシン漁・船・交易とともに発展してきた土地だったことが見えてきます。
石狩市公式サイトでも、この場所を「厚田の歴史と文化のスポット」の一つとして紹介しています。
華やかな観光施設ではありませんが、厚田の成り立ちを知りたい人には立ち寄る価値のある場所です。
周辺であわせて立ち寄りたい場所
厚田エリアを巡るなら、
道の駅石狩「あいろーど厚田」
厚田観光の拠点。日本海を望める道の駅です。
恋人の聖地・厚田展望台
あいろーど厚田から歩いて向かうことができ、街角タイムス北海道取材部も実際に徒歩で取材しました。
厚田漁港朝市
現在の厚田の漁業を感じられる場所。街角タイムス北海道取材部では実際に朝市を訪れ、ニシンの飯寿司を購入しています。
厚田八幡神社
草木に覆われた参道を実際に登って参拝した神社です。
こうした場所と弁財船投錨地碑を一緒に巡ると、「現在の厚田」と「かつての厚田」の両方を見ることができます。
FAQ|弁財船投錨地碑・厚田村発祥之地碑
弁財船投錨地碑はどこにありますか?
北海道石狩市厚田区古潭の古潭漁港入口付近にあります。
現地には「厚田村発祥之地碑」も隣接しています。
弁財船投錨地碑は何のために建てられたのですか?
江戸時代、古潭に隣接する押琴に運上屋が置かれ、入江に多くの弁財船が停泊していた歴史を記念するものです。
旧厚田村によって1993年に建立されました。
弁財船と北前船は関係がありますか?
石狩市教育委員会の資料では、大阪から瀬戸内海、日本海を北上して北海道へ向かった交易船について「弁財船(北前船)」として説明しています。
厚田村発祥之地碑はいつ建てられましたか?
昭和43年(1968年)、旧厚田村によって建立されました。
古潭は昔から漁港だったのですか?
古潭に隣接する押琴は天然の良港として知られ、江戸時代には多くの弁財船が停泊しました。運上屋も置かれ、漁業や交易の拠点としてにぎわったとされています。
まとめ|古潭に残る2つの碑から厚田の歴史が見えてくる
石狩市厚田区古潭に残る「弁財船投錨地碑」と「厚田村発祥之地碑」。
現在は古潭漁港を望む静かな場所ですが、かつてこの一帯には多くの弁財船が往来し、運上屋も置かれていました。
さらに明治初期には古潭に開拓使厚田出張所が置かれるなど、厚田地域の形成に深く関わった場所でもあります。
街角タイムス北海道取材部が現地を歩いてみると、昔の港の歴史を説明する碑と、今も使われている港が同じ風景の中にあることが、この場所ならではの魅力だと感じました。
あいろーど厚田や厚田漁港を訪れる際には、少し足を延ばして古潭の歴史にも触れてみてはいかがでしょうか。
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