坂本龍馬家の墓を現地取材|浦臼に眠る留と直衛、武市安哉も紹介

北海道浦臼町にある坂本龍馬家の墓の案内板 浦臼町
「幕末の志士 坂本龍馬家の墓」と記された現地案内板。墓に眠る人物と浦臼へ移住した経緯が説明されています。 2026年9月撮影

北海道樺戸郡浦臼町の札的地区には、「坂本龍馬家の墓」と呼ばれる墓があります。

最初に確認しておきたいのは、ここが坂本龍馬本人の墓ではないことです。現地案内板によると、ここに眠るのは龍馬の養嗣子となった坂本直の妻・留と、次男の坂本直衛です。

高知と強く結び付く坂本家の墓が、なぜ北海道の浦臼町にあるのでしょうか。

現地で撮影した写真をもとに、墓に眠る人物、坂本家と浦臼の関係、道路からの目印、同じ墓地にある武市安哉の墓まで紹介します。

坂本龍馬家の墓の基本情報

項目内容
名称坂本龍馬家の墓
所在地北海道樺戸郡浦臼町札的地区の墓地
墓に眠る人物坂本直の妻・留、次男・坂本直衛
料金施設としての料金案内なし
開放時間観光施設としての公式な開館時間案内なし
専用駐車場公式案内を確認できず
現地の目印道路沿いの「坂本龍馬家の墓 0.3km」案内看板
公式案内浦臼町公式ホームページ「坂本龍馬家の墓」

ここは一般の墓地内にある史跡です。観光施設とは性格が異なるため、日中の明るい時間帯に訪れ、墓参者や近隣住民の迷惑にならないよう静かに見学しましょう。

坂本龍馬家の墓に眠るのは誰?

現地案内板には、墓に眠る人物について次のように記されています。

  • 坂本龍馬の養嗣子・坂本直の妻である留
  • 坂本直と留の次男である坂本直衛

つまり、坂本龍馬自身の墓ではなく、龍馬の家督を継いだ家系に連なる妻子の墓です。

坂本直は、龍馬の長姉・千鶴の長男として生まれた高松太郎で、海援隊士として活動し、後に龍馬の養嗣子となって「坂本直」を名乗りました。

国土交通省北海道開発局の解説では、直は龍馬と行動した海援隊の中心人物であり、明治政府では宮内省などに勤務したと紹介されています。

人物龍馬との関係・浦臼との関係
坂本龍馬幕末の志士。本人はこの墓には眠っていない
坂本直(高松太郎)龍馬の長姉・千鶴の長男で、龍馬の養嗣子
留坂本直の妻。浦臼へ移住し、この墓に眠る
坂本直衛坂本直の次男。母・留と浦臼へ移住し、この墓に眠る
坂本直寛龍馬の甥。先に北海道へ渡り、留と直衛が頼った人物

現地で見た坂本家の墓

案内板の後方には、二基の墓石が並んでいます。周囲にはほかの家の墓もあり、坂本家の区画だけが観光施設として独立しているわけではありません。

墓前へ進む際は通路を利用し、墓石や囲いに触れたり、ほかの区画へ立ち入ったりしないよう注意が必要です。

浦臼町の墓地に並ぶ坂本龍馬家の二基の墓
案内板の後方に並ぶ坂本家の墓。一般の墓地内にあるため、静かに手を合わせたい場所です。 2026年9月撮影

正面から見ると、右側の墓石に「坂本直衛之墓」と刻まれていることが確認できます。墓石は年月を重ねた風合いを残し、派手な観光設備はありません。

浦臼に渡った坂本家の人々が、ここで暮らし、生涯を終えたという歴史そのものが最大の見どころです。

正面から見た坂本家の墓と坂本直衛之墓の文字
二基の墓石を正面から撮影。右側には「坂本直衛之墓」の文字が確認できます。 2026年9月撮影

実際にお墓をお参りさせていただき手を合わせてきましたが、坂本家のお墓だけどこか寂しさを感じいました。

坂本家はなぜ浦臼町へ移住したのか

浦臼町公式ホームページによると、坂本直が亡くなった後、妻の留とその息子は、すでに浦臼へ入植していた坂本直寛を頼って移住しました。

現地案内板では、移住した年を明治32年(1899年)と説明しています。留と直衛は町内で駄菓子屋を営みながら生活し、浦臼町の発展に力を尽くしたと町公式ページに記されています。

「坂本龍馬と北海道」という組み合わせは意外に感じられますが、龍馬の死後、その家系に連なる人々が北海道へ渡り、浦臼で生活を築いたという歴史がありました。

国土交通省北海道開発局の石狩川右岸流域の歴史解説でも、留と直衛が直寛を頼って浦臼へ移り、駄菓子屋で生計を立てながら暮らしたことが紹介されています。

道路沿いの案内看板が入口の目印

現地へ向かう際は、道路沿いに立つ縦長の案内看板が目印です。看板には大きく「坂本龍馬家の墓」、上部には左向きの矢印と「0.3km」の表示があります。

運転中は看板を見つけてから急停止や急な進路変更をせず、安全に曲がれる場所を確認してください。道路状況や工事によって進入経路が変わる可能性もあるため、地図アプリと現地表示を併用すると安心です。

浦臼町の道路沿いに立つ坂本龍馬家の墓0.3kmの案内看板
道路脇に設置された案内看板。左方向へ0.3kmと表示されています。 2026年9月撮影
坂本龍馬家の墓への方向と距離を示す案内看板
「坂本龍馬家の墓」と「0.3km」の表示を近くから確認できます。 2026年9月撮影

道路は見通しの変化や対向車に注意が必要な区間です。看板の近くには道路標識もあるため、史跡の案内だけに気を取られず、安全を最優先にしてください。

同じ墓地にある武市安哉の墓

坂本龍馬家の墓と同じ墓地には、自由民権家の武市安哉(たけち・あんさい)の墓があります。

現地案内板によると、武市安哉は高知県出身の元代議士で、明治26年(1893年)7月、理想農村の建設を目指して札的へ入植し、北海道の開拓に尽くしました。

坂本家の墓とは別の墓ですが、同じ高知県から北海道へ渡った人々と浦臼開拓の歴史を知るうえで、合わせて確認しておきたい史跡です。

浦臼町札的にある自由民権家武市安哉の墓の案内板
2026年9月撮影

案内板の後方には、石積みの基壇の上に墓碑が建っています。坂本家の二基の墓とは形が異なり、正面から見ても大きな存在感があります。

国土交通省北海道開発局の解説では、坂本直寛は武市安哉の急死を受け、北見での開拓を離れて家族とともに浦臼へ移ったとされています。

武市安哉の墓と坂本龍馬家の墓が同じ墓地にあることは、浦臼における高知出身者と開拓の歴史を今に伝えています。

訪問時に守りたい墓地のマナー

坂本龍馬家の墓は歴史スポットとして町公式サイトでも紹介されていますが、場所は現在も使われている墓地です。

  • 大声で話したり、長時間滞在したりしない
  • 墓石、供物、囲いなどに触れない
  • ほかの墓参者がいるときは撮影を控える
  • ほかの家の墓碑や氏名を必要以上に撮影・公開しない
  • 通路をふさがず、車両の出入りを妨げない
  • ごみを残さず、供物を無断で置いて帰らない
  • 夜間や悪天候時の訪問を避ける

見学後は浦臼町郷土史料館へ

墓だけを見ても、坂本家と浦臼の関係をすべて理解するのは簡単ではありません。

浦臼町公式ページによると、坂本家ゆかりの品々は浦臼町郷土史料館に収蔵・展示されています。先に墓を訪ねてから史料館で背景を学ぶ方法、史料館で予習してから墓所へ向かう方法のどちらも可能です。

詳しい展示内容、開館期間、入館料は、街角タイムスの浦臼町郷土史料館を現地取材で紹介しています。

札沼線や町中心部の歴史まで巡るなら、廃止後の浦臼駅跡を現地取材した記事も合わせてご覧ください。

坂本龍馬家の墓のよくある質問

坂本龍馬本人のお墓ですか?

いいえ。現地案内板によると、この墓に眠るのは龍馬の養嗣子・坂本直の妻である留と、次男の坂本直衛です。

「坂本家の墓」と「坂本龍馬家の墓」は同じ場所ですか?

浦臼町の現地案内板と町公式ページでは「坂本龍馬家の墓」と表記されています。「坂本家の墓」と略して紹介されることもあります。

なぜ北海道の浦臼町に坂本家の墓があるのですか?

坂本直の死後、妻の留と息子の直衛が、先に浦臼へ入植していた坂本直寛を頼り、明治32年(1899年)に高知から移住したためです。

墓地に入って見学できますか?

町公式サイトでは観光スポットとして紹介されています。ただし一般の墓地内にあるため、現地の表示に従い、墓参者と周囲の墓所に配慮して静かに見学してください。

駐車場はありますか?

専用駐車場の有無や利用条件は、町公式ページに記載がありません。現地で通行や墓参を妨げる場所へ駐車せず、不明な場合は浦臼町へ確認してください。

武市安哉の墓も同じ場所にありますか?

はい。同じ墓地内に武市安哉の墓と案内板があります。ただし、坂本龍馬家の墓とは別の墓です。

坂本龍馬家の墓は北海道へ渡った家族の歴史を伝える場所

浦臼町の坂本龍馬家の墓は、著名な坂本龍馬本人の墓ではありません。しかし、龍馬の家督を継いだ坂本直の妻・留と次男・直衛が高知から北海道へ渡り、浦臼で暮らした歴史を伝える重要な場所です。

同じ墓地にある武市安哉の墓、坂本家ゆかりの品々を展示する浦臼町郷土史料館まで巡ると、高知出身者が抱いた理想と北海道開拓とのつながりが、より具体的に見えてきます。

現地を訪れる際は、観光地ではなく墓地であることを忘れず、静かに手を合わせながら浦臼に残る歴史に向き合いましょう。

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