北炭幌内炭鉱音羽坑で歴史を感じる!三笠の坑口跡・歴史・散策路

炭幌内炭鉱音羽坑 三笠市
2026年10月撮影

北海道三笠市の幌内地区。かつて北海道の石炭産業を支えていた場所には、今も数多くの炭鉱遺産が残されています。

その一つが、「北炭幌内炭鉱音羽坑(ほくたんほろないたんこうおとわこう)」です。

音羽坑は、1879年(明治12年)に開かれた幌内炭鉱最初の坑口。北海道の近代炭鉱の始まりを伝える重要な史跡です。

現在は坑道が密閉されていますが、旧幌内炭鉱の散策路を歩くと、当時の坑口跡を見ることができます。

街角タイムス北海道取材部でも、実際に現地を訪れました。

木々に囲まれた散策路を進んでいくと、音羽坑と常磐坑の分岐標識、レンガ造りの安全灯庫、そして密閉された音羽坑の坑口跡が残されていました。

この記事では、現地で撮影した写真を使いながら、音羽坑の歴史や現在の様子、周辺の炭鉱遺産、散策路の所要時間、アクセス、見学時の注意点まで詳しく紹介します。

  1. 北炭幌内炭鉱音羽坑とは?北海道近代炭鉱の始まりを伝える場所
    1. 1879年に開かれた幌内炭鉱最初の坑口
    2. 1896年以降は排気坑として使用された
  2. 旧幌内炭鉱の散策路を実際に歩いてみた
    1. 散策路の入口にあるC-01の案内板
    2. 三笠ジオパークの案内図で位置関係を確認
    3. 落ち葉の広がる森林の散策路
    4. 音羽坑と常磐坑の方向を示す標識
  3. 音羽坑の周辺にはレンガ造りの安全灯庫も残る
    1. 草木に覆われた安全灯庫
    2. 現地の説明板で坑内照明の歴史を知る
  4. 北炭幌内炭鉱音羽坑に到着|現在の坑口跡を写真で紹介
    1. 密閉された音羽坑の坑口
    2. 坑口を正面から見てみる
    3. 日本遺産「炭鉄港」の構成文化財標識
    4. C-03の案内板には当時の炭鉱写真も
  5. 音羽坑と空知集治監|忘れてはいけない囚人労働の歴史
    1. 1883年から1894年まで囚人たちが働いていた
    2. 炭鉱の発展だけでは語れない歴史
  6. 音羽坑と常磐坑の違いは?2つの坑口を比較
  7. 旧幌内炭鉱散策路の所要時間は30分〜1時間が目安
    1. 変電所や神社も巡るなら時間に余裕を
  8. 音羽坑へのアクセス・駐車場・見学情報
    1. 車で訪れる場合
    2. 公共交通機関で訪れる場合
  9. 散策時の注意点|ヒグマ・天候・立入禁止区域
    1. 歩きやすい靴を用意する
    2. ヒグマや虫への備えを忘れずに
    3. 天候の変化に注意する
    4. 坑口や古い遺構には立ち入らない
    5. 冬季閉鎖にも注意
  10. 音羽坑の周辺にある炭鉱遺産も見てほしい
    1. 旧幌内炭鉱変電所
    2. 旧幌内炭鉱常磐坑
    3. 幌内神社本殿跡
    4. 三笠鉄道村
  11. 北炭幌内炭鉱音羽坑のよくある質問
    1. 音羽坑はいつ開かれた坑口ですか?
    2. 音羽坑の坑道は何メートルありましたか?
    3. 音羽坑の内部を見学できますか?
    4. 音羽坑と空知集治監にはどのような関係がありますか?
    5. 音羽坑と常磐坑は同じ場所ですか?
    6. 散策にはどのくらいの時間が必要ですか?
    7. 冬でも音羽坑を見学できますか?
  12. まとめ|静かな森の中に残る北海道近代炭鉱の始まり
  13. 公式・参考情報

北炭幌内炭鉱音羽坑とは?北海道近代炭鉱の始まりを伝える場所

北炭幌内炭鉱音羽坑は、北海道三笠市幌内本沢町に残る炭鉱遺産です。

1879年(明治12年)、北海道開拓使によって設置されました。

現在は日本遺産「炭鉄港」の構成文化財となっており、三笠ジオパークの幌内エリアにあるジオサイト「C-03」としても紹介されています。

1879年に開かれた幌内炭鉱最初の坑口

幌内炭鉱は1879年に開坑した、北海道の近代炭鉱の歴史を代表する炭鉱です。

その最初の坑口が音羽坑でした。

当初は「大坑道」と呼ばれ、約700mに及ぶ坑道が開削されました。

地下から石炭を採掘するための、基幹的な坑道として使われていたのです。

その後、1882年には石炭を輸送するための幌内鉄道が開通しました。

こうして石炭の採掘と鉄道輸送が結びつき、三笠をはじめとする北海道の石炭産業が発展していきました。

1896年以降は排気坑として使用された

音羽坑は、最初から最後まで同じ用途で使われていたわけではありません。

炭鉄港の公式資料によると、1896年(明治29年)以降は、坑内の空気を外へ排出するための排気坑として使用されるようになりました。

採炭が進むにつれ、炭鉱の中心となる区域は次第に北側や地下深くへ移っていきました。

音羽坑も時代とともに役割を変え、やがて使われなくなっていきます。

そして1989年(平成元年)、幌内炭鉱が閉山した際に坑口が密閉されました。

現在は内部に入ることはできませんが、北海道の近代炭鉱が始まった場所の一つとして、その歴史を伝え続けています。

旧幌内炭鉱の散策路を実際に歩いてみた

今回、街角タイムス北海道取材部では、旧幌内炭鉱の施設群を現地取材しました。

この一帯には、音羽坑以外にも旧幌内炭鉱変電所、常磐坑、幌内神社本殿跡、選炭場跡など、さまざまな史跡が残されています。

散策路の入口にあるC-01の案内板

現地には、三笠ジオパークの大きな案内板が設置されています。

番号は「C-01」。

「旧幌内炭鉱施設」と題された案内板で、この地域に残る炭鉱遺産の位置関係が紹介されています。

三笠ジオパークC-01旧幌内炭鉱施設の案内板と散策路入口
旧幌内炭鉱の散策路入口付近。C-01の案内板が設置され、木々の中へ散策路が続いている。
街角タイムス北海道取材部撮影2026年10月撮影

案内板の先には、森林に囲まれた道が続いています。

初めて訪れる場合は、まずこの案内板で音羽坑や常磐坑、変電所などの位置を確認しておくと分かりやすいでしょう。

三笠ジオパークの案内図で位置関係を確認

現地のC-01案内図には、旧幌内炭鉱の主要な遺構がイラストで紹介されていました。

三笠ジオパークC-01旧幌内炭鉱施設群のジオサイト配置図
C-01のジオサイト案内図。変電所、音羽坑、常磐坑、選炭場跡などが紹介されている。
街角タイムス北海道取材部撮影2026年10月撮影

この案内図を見ると、旧幌内炭鉱が単に石炭を掘る場所だったのではなく、採掘、運搬、電力供給、選炭など、さまざまな施設によって支えられていたことが分かります。

今回は音羽坑を中心に紹介しますが、周辺にはほかにも見学する価値のある遺構が残されています。

落ち葉の広がる森林の散策路

実際に散策路を歩いてみると、周囲には木々が生い茂り、落ち葉が広がっていました。

舗装された部分もあり、取材時は歩く場所を確認できる状態でした。

旧幌内炭鉱施設群の森林に囲まれた落ち葉の散策路
取材時の旧幌内炭鉱散策路。木々に囲まれた道には落ち葉が広がっていた。
街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影

かつて大勢の人が働いていた場所とは思えないほど、現在は自然が広がっています。

こうした景色を見ると、幌内炭鉱が閉山してから流れた長い年月を感じます。

取材した日は10月上旬ということで道に落ち葉もたくさんでした。

音羽坑と常磐坑の方向を示す標識

散策路の途中には、坑口跡への方向を示す標識もありました。

「旧幌内炭鉱音羽坑」と「旧幌内炭鉱常磐坑」。

それぞれ異なる方向を指しています。

三笠ジオパーク散策路にある旧幌内炭鉱音羽坑と常磐坑への方向標識
音羽坑と常磐坑の方向を示す案内標識。2つは別々の場所にある坑口跡で、それぞれ異なる時代の炭鉱の歴史を伝えている。
街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影

音羽坑と常磐坑は、同じ幌内炭鉱に属していますが、開かれた時代も役割も異なります。

この標識を見ながら歩くことで、それぞれの史跡を区別して巡ることができます。

音羽坑の周辺にはレンガ造りの安全灯庫も残る

音羽坑周辺で撮影したものの一つが、レンガ造りの小さな建物です。

現地の案内板には「安全灯庫」と記されていました。

草木に覆われた安全灯庫

安全灯庫は、炭鉱の坑内で使われる照明に関係する施設です。

現地では、レンガ造りの壁と小さな扉が残っていました。

建物の上部や周囲には草木が伸び、長い年月が経過していることを感じさせます。

三笠市の旧幌内炭鉱散策路に残るレンガ造りの安全灯庫
旧幌内炭鉱の安全灯庫。小さなレンガ造りの建物が草木に覆われている。
街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影

炭鉱では、坑内の照明も重要な設備でした。

現在のように電気式の照明が普及する以前には、火を使うカンテラなどが使用されていました。

しかし、坑内では可燃性ガスなどによる事故の危険もあり、照明設備の安全性を高める必要がありました。

現地の説明板で坑内照明の歴史を知る

安全灯庫の近くには、坑内照明の歴史を紹介する説明板が設置されていました。

旧幌内炭鉱安全灯庫の案内板に書かれた坑内照明の歴史
安全灯庫の現地説明板。カンテラから安全灯へと変化した炭鉱の照明技術などが紹介されている。
街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影

坑口や大型の炭鉱施設に比べると、安全灯庫は目立たない存在かもしれません。

それでも、こうした施設から、炭鉱で働く人々の安全を守るために技術が発展してきたことを知ることができます。

なお、安全灯庫の詳しい歴史については、別途制作する「旧幌内炭鉱施設群」の記事でも紹介する予定です。

北炭幌内炭鉱音羽坑に到着|現在の坑口跡を写真で紹介

散策路を進んでいくと、旧幌内炭鉱音羽坑の坑口跡が見えてきました。

現在は坑道がコンクリートで密閉されています。

すぐ近くには、黒い文化財標識と三笠ジオパークの青い案内板が設置されています。

密閉された音羽坑の坑口

今回の取材で撮影したのが、こちらの坑口跡です。

三笠市の北炭幌内炭鉱音羽坑に残る密閉された坑口跡とC-03案内板
北炭幌内炭鉱音羽坑の現在の姿。密閉された坑口と史跡標識、三笠ジオパークC-03の案内板が残されている。
街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影

坑口の周囲には草木が生い茂り、コンクリートの構造物も自然に囲まれていました。

現在の風景だけを見ていると、ここでかつて石炭が採掘されていたことを想像するのは簡単ではありません。

しかし、この場所こそ、1879年に幌内炭鉱で最初に坑道が開かれた場所です。

坑口を正面から見てみる

さらに坑口を正面から撮影しました。

北炭幌内炭鉱音羽坑のコンクリートで密閉された坑口正面
正面から撮影した音羽坑の坑口跡。半円形の構造物がコンクリートで密閉され、周囲には草木が生い茂っている。
街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影

坑口の形は、半円形のアーチ状になっています。

手前には溝があり、取材時は赤茶色に見える水が流れている様子も確認できました。

この水の色が何に由来するのかは分かりませんが、こうした細かな部分も、実際に現地を訪れて気づいたことの一つです。

1989年の閉山から長い年月が経過した現在、地下へと続いていた坑道は閉ざされています。

その奥を直接見ることはできません。

それでも、実際に坑口の前に立つと、ここから地下へと人々が向かっていた時代に思いを巡らせることができます。

日本遺産「炭鉄港」の構成文化財標識

坑口の近くには「北炭幌内炭鉱音羽坑」と書かれた黒い標識も設置されています。

日本遺産炭鉄港の構成文化財である北炭幌内炭鉱音羽坑の史跡標識
音羽坑の前に設置された日本遺産「炭鉄港」の構成文化財標識。1879年の開削から閉山までの歴史が紹介されている。
街角タイムス北海道取材部撮影2026年10月撮影

日本遺産「炭鉄港」は、北海道の近代化を支えた石炭、鉄鋼、港湾、鉄道の歴史をつなぐストーリーです。

音羽坑も、その歴史を伝える重要な構成文化財の一つとなっています。

坑口だけでなく、この標識もあわせて確認すると、史跡の背景を理解しやすくなります。

C-03の案内板には当時の炭鉱写真も

音羽坑の隣には、三笠ジオパークのジオサイト案内板「C-03」が設置されています。

案内板には「北海道近代炭鉱はじまりの地」というテーマが記されていました。

三笠ジオパークC-03旧幌内炭鉱音羽坑の歴史解説板と当時の炭鉱写真
旧幌内炭鉱音羽坑の歴史を紹介するC-03案内板。坑口の歴史や当時の採炭・運搬作業を伝える写真が掲載されている。
街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影

当時の炭鉱の写真と、目の前に広がる現在の風景を比べると、大きな違いを感じます。

音羽坑を訪れた際には、ぜひ案内板にも目を通してほしいと思います。

音羽坑と空知集治監|忘れてはいけない囚人労働の歴史

音羽坑は、北海道の近代炭鉱の始まりを伝える場所ですが、その歴史には厳しい現実もありました。

それが、空知集治監の囚人たちによる採炭労働です。

1883年から1894年まで囚人たちが働いていた

三笠ジオパークの公式資料によると、1883年(明治16年)から1894年(明治27年)までの間、空知集治監の囚人たちが音羽坑で採炭に従事していました。

その人数は、1日あたり約800人から1,200人にのぼったとされています。

空知集治監は、現在の刑務所にあたる施設です。

囚人たちは危険な坑内で厳しい労働を強いられ、過酷な労働の中で命を落とした人も多くいました。

こうした歴史は、現在の静かな風景からは簡単には想像できません。

炭鉱の発展だけでは語れない歴史

炭鉱の歴史と聞くと、石炭産業の発展や、北海道の近代化に果たした役割が注目されます。

もちろん、それは重要な歴史です。

しかし、その発展を支えた人々が、どのような環境で働いていたのかも忘れてはいけません。

今回、音羽坑の前に立ち、案内板の歴史を確認しました。

現在はコンクリートで密閉された坑口ですが、その地下ではかつて多くの人が働いていたのです。

史跡は建物や構造物を見るだけではなく、そこで何があったのかを知ることにも意味があるのだと思います。

音羽坑は、北海道の近代炭鉱の始まりと、当時の労働の歴史を考えることができる場所です。

音羽坑と常磐坑の違いは?2つの坑口を比較

旧幌内炭鉱の散策路には、音羽坑のほかに常磐坑も残されています。

どちらも幌内炭鉱に関係する坑口ですが、異なる時代の炭鉱技術を伝えています。

比較項目音羽坑常磐坑
開坑年1879年1938年
特徴幌内炭鉱最初の坑口地下へ斜めに延びる斜坑
主な歴史初期の採炭・後の排気坑ベルトコンベアーによる石炭輸送
現地の見どころ密閉坑口・C-03案内板坑口跡・坑口神社

常磐坑は1938年(昭和13年)に開かれました。

1952年には、地下深くから石炭を運び出すためにベルトコンベアーによる輸送が行われていました。

音羽坑と常磐坑の両方を訪れると、幌内炭鉱で使われてきた技術の変化を感じられます。

常磐坑の記事はこちらからご覧になれます。

旧幌内炭鉱常磐坑を現地取材|2つの坑口・坑口神社・歴史とアクセス

旧幌内炭鉱散策路の所要時間は30分〜1時間が目安

今回の取材で撮影した「幌内炭鉱景観公園」の案内図には、散策の所要時間についても記載がありました。

「一周の所要時間は30分〜1時間」と案内されています。

実際に歩いてみた感じはじっくりと歴史を感じるなら1時間超えは見ておいた方がよいかと思います。ちなみに今回の取材は1時間は余裕で超えました。

真夏の暑い日だと大変かもしれません。夏に行く方はご注意ください。

幌内炭鉱景観公園の散策ルートと音羽坑、常磐坑、安全灯庫などの位置を示す案内図
現地の幌内炭鉱景観公園案内図。一周の所要時間は30分〜1時間と表示されている。
街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影

ただし、これは散策ルート全体の目安であり、音羽坑までの片道所要時間ではありません。

また、今回のように案内板を読んだり、各施設の写真を撮ったりする場合には、さらに時間が必要です。

歴史に興味がある方なら、余裕を持って散策するのがおすすめです。

変電所や神社も巡るなら時間に余裕を

幌内地区には、音羽坑以外にも旧幌内炭鉱変電所や幌内神社本殿跡などがあります。

それぞれをじっくり見学する場合は、一周の所要時間だけで予定を組まず、時間に余裕を持っておくと安心です。

特に変電所の内部は常時公開されているわけではないため、内部見学を希望する場合は公開条件を事前に確認してください。

音羽坑へのアクセス・駐車場・見学情報

項目内容
名称北炭幌内炭鉱音羽坑
所在地北海道三笠市幌内本沢町
ジオサイト番号C-03
文化財日本遺産「炭鉄港」の構成文化財
見学方法公開中の旧幌内炭鉱散策路から見学
坑道内部立入不可
散策時間現地表示では一周30分〜1時間
冬季閉鎖例年11月下旬〜5月上旬頃
問い合わせ三笠ジオパーク推進協議会
電話01267-2-3997

車で訪れる場合

車の場合は、道央自動車道の三笠ICから幌内方面に向かいます。

北海道空知総合振興局の案内では、三笠ICから幌内炭鉱景観公園方面まで車で約15分とされています。

ただし、この時間は散策エリアまでの移動時間の目安です。

音羽坑へは、その後、公開されている散策路を歩いて向かいます。

駐車場所については現地の案内に従い、車両進入禁止の場所や管理区域には入らないようにしてください。

公共交通機関で訪れる場合

公共交通機関では、三笠市営バスの鉄道記念館前方面を利用する方法があります。

北海道空知総合振興局の案内では、「鉄道記念館前」から幌内炭鉱景観公園方面まで徒歩約20分が目安です。

そこから音羽坑までは散策路を歩きます。

バスの運行日や時刻、散策路の利用状況は訪問前に確認してください。

散策時の注意点|ヒグマ・天候・立入禁止区域

旧幌内炭鉱の散策路は森林に囲まれています。

今回の取材では道に落ち葉が広がり、周囲には草木が生い茂っていました。

歩きやすい靴を用意する

舗装された区間もありますが、落ち葉や湿った地面では滑りやすくなることがあります。

歩きやすく、滑りにくい靴を用意するのがおすすめです。

炭鉄港の公式案内でも、長靴などが推奨されています。

ヒグマや虫への備えを忘れずに

周囲は森林に囲まれた環境です。

事前にヒグマの出没情報を確認し、熊鈴などの対策用品や虫よけを用意してください。

出没情報がある場合や危険が予想される場合は、無理に散策しないことも大切です。

天候の変化に注意する

今回の三笠取材では、同じ日に突然の雷雨やあられに見舞われる場面もありました。

山あいの散策では、雨具を用意し、天候が悪化した場合は早めに安全な場所へ移動するなどの対応が必要です。

坑口や古い遺構には立ち入らない

音羽坑の内部は密閉されており、入ることはできません。

また、周辺には老朽化した構造物も残っています。

危険な場所に近づいたり、立入禁止区域へ入ったりせず、整備された散策路を利用してください。

冬季閉鎖にも注意

旧幌内炭鉱散策路は、例年11月下旬から5月上旬頃まで冬季閉鎖となります。

ただし、実際の閉鎖日や開放日は積雪や倒木などの状況によって変わる可能性があります。

訪問前には、三笠ジオパーク公式サイトで最新情報を確認してください。

音羽坑の周辺にある炭鉱遺産も見てほしい

旧幌内炭鉱の周辺には、音羽坑以外にも多くの史跡が残されています。

今回の取材では、これらの場所にも実際に足を運びました。

旧幌内炭鉱変電所

1919年頃に建てられた変電所で、赤レンガとコンクリートを組み合わせた建物が現在も残されています。

今回の取材では、幸運にも変電所の内部を見学する機会に恵まれました。

現地を管理されている女性と石炭ストーブを囲み、炭鉱の歴史や、この貴重な建物を後世に残していく課題についてお話をしたことも、印象に残っています。

内部は常時公開ではありませんが、公開の機会があればぜひ訪れてほしい場所です。

旧幌内炭鉱常磐坑

1938年に開かれた坑口で、地下へ斜めに延びる斜坑となっています。

後にベルトコンベアーによる石炭輸送が行われました。

坑口の近くには、炭鉱で働く人々が安全を祈願していた坑口神社も残されています。

こちらも実際に現地を取材し、写真を撮影しています。

幌内神社本殿跡

炭鉱で働く人々が安全や採炭の成功を祈願していた神社の跡地です。

現在も鳥居や石段、かつての神社の痕跡が残っています。

炭鉱の歴史を知るには、採炭設備だけでなく、働いていた人々の暮らしや信仰についても知ることが大切だと感じました。

三笠鉄道村

石炭の輸送を支えた鉄道の歴史にも触れたい方には、三笠鉄道村もおすすめです。

街角タイムスでは、2026年10月2日に三笠鉄道村を訪れ、イベント開催前日の様子や展示車両を取材しています。

秋の三笠鉄道村まつり2026・現地取材記事はこちら

北炭幌内炭鉱音羽坑のよくある質問

音羽坑はいつ開かれた坑口ですか?

1879年(明治12年)に開かれた、幌内炭鉱最初の坑口です。当初は「大坑道」と呼ばれていました。

音羽坑の坑道は何メートルありましたか?

当初の坑道は、約700mに及んだとされています。

音羽坑の内部を見学できますか?

いいえ。音羽坑は1989年の幌内炭鉱閉山時に密閉されており、現在は内部に入ることはできません。

音羽坑と空知集治監にはどのような関係がありますか?

1883年から1894年にかけて、空知集治監の囚人たちが採炭に従事していました。三笠ジオパークによると、1日約800人から1,200人が働かされていたとされています。

音羽坑と常磐坑は同じ場所ですか?

別の坑口です。音羽坑は1879年、常磐坑は1938年に開かれました。現地にはそれぞれの方向を示す案内標識があります。

散策にはどのくらいの時間が必要ですか?

現地の案内図では、幌内炭鉱景観公園の散策ルート一周について30分〜1時間と表示されています。音羽坑だけへの片道時間ではなく、見学や撮影によっても所要時間は変わります。

冬でも音羽坑を見学できますか?

散策路は例年冬季閉鎖されます。訪問前に三笠ジオパークの最新情報を確認してください。

まとめ|静かな森の中に残る北海道近代炭鉱の始まり

1879年に開かれた北炭幌内炭鉱音羽坑。

現在は坑道が密閉され、周囲には木々や草が生い茂っています。

今回、実際に現地を訪れると、森林に囲まれた散策路の先に、かつての坑口跡が残されていました。

音羽坑へ続く案内標識、レンガ造りの安全灯庫、歴史を紹介する説明板。

こうしたものを実際に見ながら歩くことで、かつての炭鉱の様子を少しずつ想像することができます。

そして、音羽坑の歴史には、空知集治監の囚人たちが厳しい採炭労働に従事した過去もあります。

北海道の石炭産業を支えてきた技術と、そこで働いた人々の歴史。

その両方を知ることができる場所が、北炭幌内炭鉱音羽坑なのだと思います。

今は静かな森の中に残る坑口ですが、北海道の近代化を考えるうえで、とても大切な史跡です。

また、今回の三笠取材では、旧幌内炭鉱変電所で管理されている方とお話をする機会にも恵まれました。

その際、炭鉱遺産をどう後世に残していくかという課題についても伺いました。

音羽坑をはじめとする幌内の炭鉱遺産も、こうして歴史を知り、記録し、次の世代へ伝えていくことが大切なのだと感じています。

三笠市を訪れる機会があれば、ぜひ公開状況と安全情報を確認したうえで、旧幌内炭鉱の散策路を歩いてみてください。

取材・写真:街角タイムス北海道取材部

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公式・参考情報

※施設の歴史や公開条件は公式資料を参照し、坑口・散策路・案内板などの現在の様子は街角タイムス北海道取材部の現地取材に基づいて記載しています。散策路の開放状況や交通機関の運行情報は訪問時期によって異なる場合があります。

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