北海道三笠市の幌内地区には、かつて北海道の石炭産業を支えた炭鉱の跡が残されています。
「旧幌内炭鉱施設群」です。
幌内炭鉱は1879年(明治12年)に開坑し、1989年(平成元年)の閉山まで約110年間にわたって操業した、北海道を代表する炭鉱です。
現在は多くの建物が失われていますが、旧幌内炭鉱変電所、音羽坑、常磐坑、選炭場跡、幌内神社本殿跡など、炭鉱の歴史を伝える施設や遺構が各所に残されています。
街角タイムス北海道取材部では、これらの史跡を実際に歩いて取材しました。
草木に覆われたコンクリート構造物、地下へと続いていた坑口跡、レンガ造りの安全灯庫、苔むした神社の石段。
かつて大勢の人々が働いていた場所が、今では静かな森に囲まれています。
さらに、旧幌内炭鉱変電所では、現地を管理されている方とお話しする機会にも恵まれました。
この記事では、旧幌内炭鉱施設群の歴史や見どころ、実際に歩いた散策路の様子、所要時間、アクセス、見学時の注意点について、現地写真とともに紹介します。
- 旧幌内炭鉱施設群とは?北海道の近代化を支えた炭鉱遺産
- 三笠ジオパークのC-01案内板から散策を開始
- 幌内炭鉱景観公園の散策路を歩いてみた
- 見どころ① 北炭幌内炭鉱音羽坑|1879年に開かれた最初の坑口
- 見どころ② 旧幌内炭鉱常磐坑|2つの坑口と坑口神社
- 見どころ③ 旧幌内炭鉱変電所|炭鉱の機械化を支えた建物
- 見どころ④ 幌内神社本殿跡|社殿を失った炭鉱の守り神
- 見どころ⑤ 安全灯庫|坑内の安全を支えた小さなレンガ造りの建物
- 見どころ⑥ C-05旧幌内炭鉱施設群|自然に囲まれたコンクリート遺構
- 旧幌内炭鉱の選炭場跡とズリ山とは?
- 幌内炭鉱景観公園の散策時間はどのくらい?
- 旧幌内炭鉱施設群へのアクセス・駐車場・見学情報
- 散策する際の注意点|ヒグマ・足元・天候・冬季閉鎖
- 三笠鉄道村もあわせて訪れたい
- 旧幌内炭鉱施設群のよくある質問
- まとめ|静かな森に残る北海道の石炭産業の歴史
旧幌内炭鉱施設群とは?北海道の近代化を支えた炭鉱遺産
旧幌内炭鉱施設群は、北海道三笠市幌内本沢町に残る炭鉱関連施設や遺構の総称です。
三笠ジオパークの幌内エリアでは、これらの施設を歴史や役割ごとに紹介しています。
1879年に開坑した北海道の近代炭鉱
幌内炭鉱が開坑したのは1879年です。
当時の北海道では、開拓や産業の発展に必要なエネルギーとして、石炭が重要な役割を担っていました。
幌内炭鉱は西洋の技術を取り入れて開発され、北海道の近代炭鉱の先駆けとなりました。
採掘された石炭は、工場や鉄道、船舶などに利用され、北海道の産業発展を支えていきます。
そして1882年(明治15年)には、幌内と小樽の手宮を結ぶ幌内鉄道が開通しました。
石炭を掘る炭鉱と、石炭を運ぶ鉄道。
この2つが結びついたことで、幌内は北海道の近代化を語るうえで重要な場所になったのです。
1989年の閉山から現在まで
幌内炭鉱は、開坑から約110年後の1989年に閉山しました。
閉山後、多くの施設は取り壊されましたが、現在も坑口や建物、コンクリートの基礎などが残されています。
また、北海道空知総合振興局の資料によると、2004年から「みかさ炭鉱の記憶再生塾」によって、幌内炭鉱の施設跡を景観公園として整備する活動が進められてきました。
現在では、三笠ジオパークの散策路などを通じて、炭鉱の歴史を知ることができます。
三笠ジオパークのC-01案内板から散策を開始
今回の取材では、幌内炭鉱跡の複数の施設を実際に歩いて巡りました。
現地には、三笠ジオパークの青い案内板が各所に設置されています。
初めて訪れる方は、まず「C-01」の案内板を確認すると、施設群の位置関係が分かりやすくなります。
C-01には炭鉱施設全体の配置が描かれている
C-01の案内板には、「旧幌内炭鉱施設」と題されたイラストが描かれています。

街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影
案内板を見てみると、旧幌内炭鉱の施設が広い範囲に分布していることが分かります。
石炭を採掘する坑口だけでなく、電力を供給する変電所、採掘した石炭を選り分ける選炭場など、さまざまな設備が必要だったのです。
散策路の入口も実際に撮影
案内板の近くには、木々の間へと続く散策路があります。

街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影
取材時は、入口付近の道を確認できる状態でした。
現在は静かな森林のように見えますが、この先には、かつての炭鉱の歴史を伝える遺構が点在しています。
なお、旧幌内炭鉱施設群には、一般に公開されている散策路と、所有者等の許可が必要な区域があります。
現地の案内に従い、立ち入りが認められた範囲を歩くようにしてください。
幌内炭鉱景観公園の散策路を歩いてみた
実際に散策路を歩くと、周囲には木々が生い茂り、落ち葉が広がっていました。
一部は舗装された道になっており、取材時は歩く場所を確認できました。
森の中に炭鉱の遺構が残されている

街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影
かつて炭鉱が稼働していた時代は、今とはまったく違う景色が広がっていたのでしょう。
現在は森の中を歩いているような雰囲気ですが、少し進むと歴史を紹介する案内板や古い構造物が現れます。
炭鉱跡を歩いていて印象的だったのは、史跡が一つの建物にまとまっているのではなく、森の中に点在していることでした。
散策路には音羽坑と常磐坑の分岐標識もある

街角タイムス北海道取材部撮影2026年10月撮影
現地の標識には、音羽坑と常磐坑の行き先が表示されていました。
音羽坑は1879年に開かれた坑口。
常磐坑は1938年に開坑した、より新しい時代の坑口です。
同じ幌内炭鉱でも、時代によって施設の役割や設備が変化してきたことが分かります。
見どころ① 北炭幌内炭鉱音羽坑|1879年に開かれた最初の坑口
まず紹介したいのが「北炭幌内炭鉱音羽坑」です。
三笠ジオパークのジオサイト番号はC-03。
1879年に開かれた、幌内炭鉱最初の坑口です。

街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影
現地では、コンクリートで閉じられた坑口を見ることができました。
周囲には草木が生い茂り、かつて石炭を採掘していた場所とは思えないほど静かでした。
しかし、音羽坑には、北海道の近代炭鉱の始まりを伝える歴史があります。
また、1883年から1894年には、空知集治監の囚人たちが採炭労働に従事していました。
音羽坑は、石炭産業の発展だけでなく、そこで働かされた人々の厳しい歴史を考える場所でもあります。
坑口や歴史案内板などの詳しい様子は、音羽坑の単独記事で紹介しています。
見どころ② 旧幌内炭鉱常磐坑|2つの坑口と坑口神社
次は「旧幌内炭鉱常磐坑」です。
ジオサイト番号はC-04。
常磐坑は1938年に開坑し、幌内炭鉱の石炭輸送を支えた重要な施設でした。
2つの坑口の間に神社が残されている

街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影
現地に到着すると、まず鳥居が目に入りました。
鳥居の奥には赤い屋根の小さな社殿があり、その左右に坑口が残されています。
今回の取材でも、特に印象に残った光景の一つです。
左側の坑口は石炭を運搬する本卸、右側は人や資材が出入りする副卸として使われていました。
そして中央には、地下へ向かう人々が安全を祈願した坑口神社があります。
炭鉱の設備と、そこで働く人々の信仰が、一つの場所に残されているのです。
ベルトコンベアーが支えた石炭輸送
常磐坑では、1952年にベルトコンベアーを利用した石炭輸送設備が完成しました。
地下深くで採掘された石炭を、地上の選炭場へ効率よく運ぶための設備です。
現在は坑口が密閉され、当時の設備がそのまま動いているわけではありません。
それでも現地の案内板と坑口を見ることで、幌内炭鉱の機械化の歴史を知ることができます。
本卸と副卸の違いや坑口神社については、常磐坑の単独記事で詳しく紹介しています。
見どころ③ 旧幌内炭鉱変電所|炭鉱の機械化を支えた建物

旧幌内炭鉱変電所は、1919年(大正8年)頃に建てられた施設です。
三笠ジオパークでは、幌内神社本殿跡とともにC-02の案内板で紹介されています。
赤レンガとコンクリートを組み合わせた建物で、現在も当時の電気設備などが残されています。
この変電所では、夕張方面から送られてくる高圧の電気を、炭鉱の機械で使用できる電圧に変えていました。
電力によって大型機械が使えるようになり、幌内炭鉱の採炭技術も発展していったのです。
実際に建物内部を見学する機会に恵まれた
今回の取材では、旧幌内炭鉱変電所の内部を見学することができました。
建物内部には、古い配電盤や電気設備、階段などが残されていました。
かつてこの場所で炭鉱に電力を供給していたことを、実際の設備から感じることができます。
また、見学の時間帯には、現地を管理されている女性と石炭ストーブを囲みながら、炭鉱の歴史についてお話をする機会にも恵まれました。
その中で印象に残ったのは、こうした歴史的な施設を、どうやって後世に残していくかという課題についてのお話です。
実際に建物の内部を見ると、保存していく価値の大きさを感じる一方、その維持が簡単ではないことも考えさせられました。
なお、変電所の内部は常時公開されているわけではありません。
内部への立ち入りには所有者等の許可が必要です。公開や見学の機会については、事前に確認してください。
見どころ④ 幌内神社本殿跡|社殿を失った炭鉱の守り神
旧幌内炭鉱変電所の近くには、幌内神社本殿跡が残されています。
幌内神社は1880年に始まった神社で、炭鉱で働く人々の安全や石炭の豊かな産出を願う場所でした。
現在は鳥居・石段・狛犬・石碑などが残る

街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影
今回、実際に幌内神社本殿跡を訪れました。
苔むした長い石段を上り、鳥居をくぐると、その先にあったのは社殿ではなく石碑でした。
北海道神社庁の記録によると、幌内神社の社殿は2001年の雪害で大きな被害を受けたとされています。
現在の境内には、鳥居や石段、狛犬、石碑などが残されています。
変電所の内部には幌内神社の扁額も残されていた
今回の取材では、さらに印象的な発見がありました。
旧幌内炭鉱変電所の内部に、「幌内神社」と書かれた木製の扁額が残されていたのです。
その周囲には、絵馬と思われる額や神社の模型、灯籠なども並べられていました。
社殿は失われても、神社の歴史を伝える品々がこうして残されている。
現地の本殿跡を歩いた後だっただけに、特に心に残りました。
なお、北海道神社庁の記録には榎本武揚が1882年に社号額を奉納したという記述がありますが、今回変電所で撮影した扁額がその品であるとは確認できていません。
幌内神社の詳しい歴史や、現在の本殿跡の様子は単独記事で紹介しています。
見どころ⑤ 安全灯庫|坑内の安全を支えた小さなレンガ造りの建物
旧幌内炭鉱の散策路では、小さなレンガ造りの建物も撮影しました。
現地の案内板には「安全灯庫」と紹介されています。

街角タイムス北海道取材部撮影2026年10月撮影
炭鉱では照明の安全性が重要だった
地下の炭鉱では、照明も重要な設備でした。
かつては火を使うカンテラなどが使われていましたが、炭鉱内では可燃性ガスなどによる事故の危険もあります。
そのため、安全性を高めた照明器具が使われるようになっていきました。

街角タイムス北海道取材部撮影2026年10月撮影
現地では、草木に覆われたレンガ造りの建物と、その歴史を紹介する説明板を確認できました。
坑口や大型の設備に比べると目立たない存在ですが、炭鉱の安全を支えていた施設の一つとして、ぜひ知っておきたい遺構です。
見どころ⑥ C-05旧幌内炭鉱施設群|自然に囲まれたコンクリート遺構
旧幌内炭鉱には、坑口や変電所のほかにも、さまざまな施設の跡が残されています。
今回の取材で訪れたのが、三笠ジオパークの「C-05」として紹介されているエリアです。
C-05の案内板で炭鉱施設の役割を知る

街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影
この一帯には、かつて採掘した石炭を運搬・選別するための施設などがありました。
現在は多くの建物が失われていますが、コンクリートの構造物などが残されています。
草木に覆われた大きなコンクリート構造物
今回の取材では、周囲の草木に囲まれた大きなコンクリート構造物も撮影しました。

街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影
写真を見ると、柱や梁のような部分が残されており、かつて大きな設備が設置されていたことを思わせます。
ただし、今回撮影した個々の構造物について、当時の正式な施設名まで確認できているわけではありません。
そのため、この記事では用途を断定せず、現地で確認できた様子をそのまま記録しています。
また、古いコンクリート構造物には崩落などの危険があるため、近づいたり内部へ立ち入ったりすることは避けてください。
旧幌内炭鉱の選炭場跡とズリ山とは?
旧幌内炭鉱の歴史を知るうえで、選炭場とズリ山の存在も欠かせません。
選炭場は石炭と不要な土砂を分ける施設

炭鉱では、地下から掘り出されたものがすべて商品になる石炭というわけではありません。
石炭以外の岩石や土砂も含まれています。
北海道では、こうした不要な土砂を「ズリ」と呼びます。
石炭とズリを選り分ける作業が「選炭」です。
その選炭を行う場所が選炭場でした。
三笠ジオパークの公式資料では、人の手による選別や、水を利用した選別など、さまざまな方法があったことが紹介されています。
ズリ山は炭鉱の活動を伝える地形
選炭などによって分けられた不要な土砂は、ズリ山として積み上げられることがありました。
ズリ山もまた、炭鉱の活動を伝える重要な痕跡です。
今回の現地案内図には、ズリ山や選炭場跡などの位置が紹介されていました。
ただし、一般の散策路から安全に近づける場所と、立ち入りが制限されている場所は異なります。
現地の案内を確認し、無理に山の中や古い施設跡へ入らないようにしましょう。
幌内炭鉱景観公園の散策時間はどのくらい?
今回、現地で撮影した案内図には、散策時間の目安も記載されていました。
一周30分〜1時間と表示されています。

街角タイムス北海道取材部撮影 2026年10月撮影
ただし、これは現地案内板に示されている散策の目安です。
すべての史跡を詳しく見学し、写真を撮影する時間まで含まれているわけではありません。
じっくり見学するなら時間に余裕を
実際に取材してみると、案内板を読んだり、写真を撮ったり、史跡の位置関係を確認したりするため、思っていた以上に時間を使います。
音羽坑や常磐坑、幌内神社本殿跡などを詳しく見たい方は、時間に余裕を持って訪れるのがおすすめです。
また、今回のように変電所内部の見学機会に恵まれることもありますが、常時公開されているわけではありません。
内部見学については、公開日時や許可の有無を事前に確認してください。
旧幌内炭鉱施設群へのアクセス・駐車場・見学情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | 旧幌内炭鉱施設群・旧幌内炭鉱散策路 |
| 所在地 | 北海道三笠市幌内本沢町 |
| 主な見どころ | 音羽坑、常磐坑、旧幌内炭鉱変電所、幌内神社本殿跡、選炭場跡、安全灯庫など |
| 所要時間 | 現地案内板では散策路一周30分〜1時間 |
| 見学方法 | 公開中の散策路から見学 |
| 施設内部 | 場所によって所有者等の許可が必要 |
| 冬季 | 散策路は季節による閉鎖あり |
| 問い合わせ | 三笠ジオパーク推進協議会 |
| 電話 | 01267-2-3997 |
車でのアクセス
車で訪れる場合は、道央自動車道の三笠ICから幌内方面へ向かいます。
北海道空知総合振興局の観光案内では、三笠ICから幌内炭鉱景観公園方面まで車で約15分が目安とされています。
ただし、この時間には散策路を歩く時間は含まれていません。
また、旧幌内炭鉱施設群のすべての場所に車で直接行けるわけではありません。
駐車する際は、現地の標識や管理者の案内に従ってください。
公共交通機関でのアクセス
公共交通機関を利用する場合は、岩見沢方面から三笠市内へ向かい、市営バスなどを乗り継ぐ方法があります。
北海道空知総合振興局の案内では、三笠市営バスの「鉄道記念館前」から幌内炭鉱景観公園方面まで徒歩約20分とされています。
ただし、これは施設群の入口付近までの目安で、個々の史跡までの所要時間とは異なります。
運行経路や時刻表は変更されることがあるため、事前に確認してください。
見学できる場所と立入禁止区域を区別する
旧幌内炭鉱施設群は、すべての区域が自由に見学できるわけではありません。
一般向けに整備された散策路がある一方で、所有者等の許可を必要とする敷地や施設もあります。
特に旧幌内炭鉱変電所の内部や、老朽化した構造物の周囲などは、管理者の案内に従う必要があります。
見学可能な範囲を越えて遺構に近づくことは避けましょう。
散策する際の注意点|ヒグマ・足元・天候・冬季閉鎖
旧幌内炭鉱の散策路は、自然豊かな森林の中にあります。
今回の取材でも、苔や落ち葉が広がっている場所、草木が伸びている場所などを確認しました。
歩きやすく滑りにくい靴を用意する
散策路には舗装された区間もありますが、足元が湿っている場所や落ち葉の多い場所では滑りやすくなることがあります。
特に神社の石段などは苔が多いため、注意が必要です。
ヒグマの出没情報を確認する
幌内炭鉱跡の周辺は森林に囲まれています。
訪問前にはヒグマの出没情報を確認し、状況に応じて散策を中止するなど、安全を優先してください。
突然の雨や雷にも注意する
今回の三笠取材では、同じ日に突然の雷雨やあられが降る時間帯もありました。
天候が不安定な場合は、無理をせず引き返すことも大切です。
冬季閉鎖や倒木にも注意
旧幌内炭鉱散策路は、積雪期に閉鎖されることがあります。
また、倒木や降雨などによって利用状況が変わる場合もあります。
見学前には三笠ジオパークの最新案内を確認してください。
三笠鉄道村もあわせて訪れたい
幌内炭鉱跡の歴史に興味がある方には、三笠鉄道村もおすすめです。
幌内炭鉱で採掘された石炭は、1882年に開通した幌内鉄道によって運ばれていました。
炭鉱と鉄道は、北海道の近代化を支えた重要な存在です。
三笠鉄道村では、北海道の鉄道史に関する展示や鉄道車両などを見ることができます。
街角タイムス北海道取材部でも、2026年の秋に現地を訪れ、鉄道村の様子を取材しています。
旧幌内炭鉱施設群のよくある質問
旧幌内炭鉱施設群はどこにありますか?
北海道三笠市幌内本沢町にあります。三笠ジオパークの幌内エリアに位置し、公開中の散策路などから複数の炭鉱遺産を見学できます。
幌内炭鉱はいつ開坑し、いつ閉山しましたか?
1879年(明治12年)に開坑し、1989年(平成元年)に閉山しました。約110年間にわたって操業した炭鉱です。
どのような炭鉱遺産が残っていますか?
音羽坑、常磐坑、旧幌内炭鉱変電所、幌内神社本殿跡、選炭場跡、安全灯庫などが残されています。見学可能な範囲は施設ごとに異なります。
散策にはどのくらい時間がかかりますか?
現地の案内板では、散策路一周の目安が30分〜1時間とされています。案内板を読んだり、写真を撮ったりする場合は、さらに時間がかかることがあります。
旧幌内炭鉱変電所の内部に入れますか?
常時公開されているわけではありません。施設内部への立ち入りには所有者等の許可が必要です。一般公開などの機会がある場合は、管理者の案内に従ってください。
冬でも幌内炭鉱跡を見学できますか?
一般向けの散策路には冬季閉鎖期間があります。冬季のガイドツアーなどが実施されることはありますが、通常の自由散策とは異なります。
音羽坑と常磐坑は何が違いますか?
音羽坑は1879年に開かれた幌内炭鉱最初の坑口です。一方、常磐坑は1938年に開坑し、後にベルトコンベアーによる石炭輸送を担いました。
まとめ|静かな森に残る北海道の石炭産業の歴史
今回、旧幌内炭鉱施設群を実際に歩いてみて、改めて感じたことがあります。
それは、炭鉱という場所が、単に石炭を掘るための施設ではなかったということです。
- 石炭を採掘する坑口。
- 地下から石炭を運び出す設備。
- 石炭を選別する選炭場。
- 炭鉱を動かすために電力を供給した変電所。
- そして、地下で働く人々の安全を祈った神社。
こうしたさまざまな施設と人々の営みによって、炭鉱の町は成り立っていました。
現在は多くの建物が失われ、施設跡の周囲には草木が生い茂っています。
かつて大勢の人が行き交った場所も、今では静かな森の中です。
それでも、歩いてみると、炭鉱の歴史を伝えるものが各所に残されています。
今回、旧幌内炭鉱変電所で管理されている方とお話をする機会にも恵まれました。
その中で、貴重な施設をどうやって後世に残していくかという課題について伺いました。
幌内神社の社殿が雪害によって失われたことを知り、その一方で変電所の内部に神社の扁額が残されていたことも印象に残っています。
建物が失われても、そこにあった歴史までなくなるわけではありません。
しかし、何も記録しなければ、いつかその場所の存在すら知られなくなってしまうかもしれません。
だからこそ、実際に足を運び、残されているものを写真に収め、そこで知った歴史や感じたことを記録していく意味があるのだと思います。
旧幌内炭鉱施設群は、北海道の近代化を支えた歴史と、そこで働いた人々の暮らしを知ることができる場所です。
三笠市を訪れる機会があれば、公開状況と安全情報を確認したうえで、ぜひ幌内炭鉱跡を歩いてみてください。
取材・写真:街角タイムス北海道取材部
公式・参考資料
※歴史情報は公式資料および現地の案内板を参照しています。散策路の様子や遺構の状態、見学時の体験については、街角タイムス北海道取材部による現地取材をもとに記載しています。施設名を確認できない遺構については、用途を断定していません。
